<まちかどエッセー・鈴木誠一>恩返しと責任

[すずき・せいいちさん]鈴屋金物(株)代表取締役。1951年仙台市生まれ。早稲田大商学部卒・同大大学院商学研究科修士課程修了。早稲田大商議員、仙台稲門会副会長。仙台二高同窓会理事・創立120周年記念データベース委員長。ジャズバンド「ビバップス」主宰。

 仙台二高時代は毎朝4時に起床し予習。ゲタばきで自転車通学し、授業が終われば楕円(だえん)球を追う。自習室で午後9時まで復習した後、帰宅しバタン、グー。個性豊かな先生方や先輩たちに鍛えられた。
 高校22回卒業生の「ゲタの会」は、満36歳の同窓会幹事の年に結成された。30年以上、毎月22日に欠かさず飲み会。最近は月1回のマージャンが始まり、ゴルフも楽しんでいる。
 十数年前、ゲタの会の友人から1本の電話があった。「二高に校長として赴任するので、同窓会理事として支えてほしい」
 当時の同窓会は、男女共学問題でもめていた。高18回の浅野史郎・前宮城県知事が全ての県立高の共学化を打ち出し、まずは母校からと二高は共学となった。
 その延長線上で、同窓会評議員会は毎回紛糾。殺伐とした空気が流れて、同窓会は真っ二つに割れていた。校長に就任した友人との約束で、というより、今まで私を育んでくれた母校への「恩返しと責任」という気持ちで、割れた同窓会の修復に努めた。
 中44回のミスター半導体・西澤潤一同窓会会長の下で創立110周年記念同窓会名簿作成、広告取りに日々奔走した。校長の退任とともに、私も同窓会副会長の重責から解放された。
 同窓会会長はその後、西澤氏から高10回の宮城県立こども病院初代院長・大井龍司氏に引き継がれた。会長から私に、再び理事に戻るようにと要請があった。
 大井会長は理事会を毎月開催し、次々と改革に着手した。「日本一の同窓会」がスローガンだ。ドクターなど各職域や、ニューヨークなど地域の同窓会の創設にも積極的に動いた。同窓会活性化策として私は、横の回期の充実と縦のクラブOB会の創設を提案した。
 母校は来年、創立120周年を迎える。記念事業の一環で私は、データベース整備委員長を仰せつかり、日々努力している。
 同窓会活動を通じて、先輩・後輩との素晴らしい出会いを重ねてきた。私は会社の朝礼で、人生は権利と義務ではなく、恩返しと責任と説いている。今日も寸暇を惜しみ、来年に向けてデータベースの整備に精を出す。恩返しと責任を胸に抱きながら。
(金属工事施工会社経営)


2019年10月07日月曜日


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