<まちかどエッセー・鈴木誠一>出会いとつながりに感謝

[すずき・せいいちさん]鈴屋金物(株)代表取締役。1951年仙台市生まれ。早稲田大商学部卒・同大大学院商学研究科修士課程修了。早稲田大商議員、仙台稲門会副会長。仙台二高同窓会理事・創立120周年記念データベース委員長。ジャズバンド「ビバップス」主宰。

 学生時代、亀井勝一郎氏の「邂逅(かいこう)・開眼・信従」という言葉が目に留まった。妙に心にストンと落ち、私の生き方の道しるべとなった。
 私は鈴屋金物の3代目として生を受けた。祖父・久治は自転車店の商売を始め、金物店に転換した。父・鉄臣は、家庭金物から建築金物へかじをきった。昭和30年代、ビルが建ち始め、鈴屋は活況を呈した。店が仙台市青葉区国分町にあった頃、大手サッシメーカーの東北支店が、鈴屋ビル2階に開設された。鈴屋は、同社のビル用サッシの総代理店になった。同社の住宅用サッシも手掛けた。
 私は大学院商学研究科を修了後、父が勧める大阪の建築金物問屋に3年間でっち奉公した。花登筺(はなとこばこ)氏の描くあきんどの世界が、そこにはあった。私は、軽トラックを支給され、営業し、自分で配送し、堺市と大阪市住之江の金物店をくまなく回った。
 仙台に帰り鈴屋に入社、父から大手ゼネコンを回るよう言われた。父とは毎日議論。私は物を売るだけの商売から、施工力・設計力を高め、付加価値を考えた商いを強く訴えた。父が折れて、金属工事・建築金物販売施工体制を確立した。
 バブルが崩壊し私の手元には、多額の不渡り手形が残った。市場縮小を見据え国分町売却を決断した。流通の便の良い若林区六丁の目に会社を移転した。縮小バランスで耐える体制をひいた。無借金経営・キャッシュフロー経営に徹した。
 突如、東日本大震災の津波が古里を襲った。沿岸部に大きな被害があり、復興工事で日夜忙しく働き、膨大な量の物件に携わった。
 鈴屋の使命は、大きくいえば社会資本整備、平たくいえば快適な住環境の創造と確信。優れた技術を持つ多くの職人さんを、より社会に生かそうと考えた。
 一般のお客さまの住まいの困り事を解決する専門工事業集団、リフォームネットワーク「リネット」を第2の柱にしようと、今、懸命に努力している。
 来年の6月3日に鈴屋は会社創立70周年を迎える。亀井勝一郎氏が説いていた邂逅こそが、人生を切り開く道と実感している。たくさんの出会いとつながりに感謝して、ペンを置きます。
(金属工事施工会社経営)


2019年10月28日月曜日


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