<まちかどエッセー・長沼広>急がずに、だが休まずに

長沼広[ながぬま・ひろし]さん 1952年山形市生まれ、東北大医学部卒業。東北大病院に勤務し、米国のロックフェラー大に2年間留学。帰国後、仙台市立病院に勤務し、定年退職。現在は仙台赤十字病院勤務。

 地球に生命が誕生したのは38億年前ごろ、海で誕生した生命のいくつかが陸に上がり、約20万年前ごろ私たちはヒト(現生人類)となった。そして7万年前ごろにアフリカから旅を始めた。旅の途中でさまざまな人種に分かれ、それぞれの言語を獲得した。その結果、見た目はかなり違ってしまった。しかし、ヒトとしての能力、知力が大きく違うことはない。
 日本人が外見の全く違う外国人に出会ったのは、鉄砲伝来の時だろうか。目鼻立ちや服装の違いに、とても驚いたに違いない。それでも南蛮風の衣装は当時の武士の間で流行した。信長が、ひだ襟やマントを好んでいたのは有名だ。南蛮屏風(びょうぶ)の外国商人は奇異な人として描かれてはいない。一方、黒船に乗ってやって来たペリーは、てんぐや鍾馗(しょうき)様のように描かれている。
 この違いは何から来るのだろうか。国際化が進む現在、日本人が外国で、外国人が日本で活躍するのは当然のことになっている。そのためにはコミュニケーションが大切だ。
 米国に留学したとき、子どもたちは現地の公立学校に通った。そこでは1クラスに10カ国以上の子どもがいた。「ONE TEAM(ワンチーム)」のラグビー日本代表より多国籍だった。英語が分からなかった息子は折り紙で友達を作り、娘はままごとでコミュニケーションを図った。当然祝日も違っている。だが「今日は○○国の大事な日だから△△君はお休みです」というのが、当たり前に認められていた。
 国際化のために外国語を身に付ける。もちろん大切なことだと思う。それと同時に、文化や習慣の違いを尊重し合うことが大事ではないだろうか。
 ちなみに、私の得意料理のカレーはバングラデシュからの留学生に教わった。イタリア人の友人は、本当によく日本のことを勉強している。彼らは敬語も助数詞(○本、○枚)も使いこなす。話していると「まだまだ知らない日本がある」ことを思い知らされる。自分の足元を確かめながら、これからも良い友人であり続けられるようにしていきたい。
(病理医)


2019年12月23日月曜日


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