<まちかどエッセー・渋谷敦子>追悼の日を前に

渋谷敦子[しぶや・あつこ]さん 1956年にかほ市生まれ。山形大人文学部卒業。名取市在住。2008年まで市民による舞台芸術裏方集団「未来工房なとり」を主宰。05年より「みやぎ聞き書き村草子」、15年より「みちのく櫂(かい)草子」で聞き書き活動

 2月が足早に過ぎて今年も震災の3月が巡ってきた。大きな揺れに底知れぬ不安を感じたあの日から、9回目の追悼の日が来る。
 停電が続いた後、ラジオから聞こえてきた声に、ああ、ここには日常が在ると思った。テレビに映し出されるのは非日常の世界。投稿によってつづられるラジオの言葉は、非日常で散乱した私の周辺に3月の陽光を届けてくれたのだった。
 少なからぬ知人が津波の被害を受け、この時から高齢の義母に認知症の症状が現れ始めた。私の中では「震災前」「震災後」という言い方が定着した。
 一つ、確かに私の中で変わったことがある。それは分かりやすい言葉でひとくくりにされることへの違和感が生まれたことだ。
 「被災地に元気を届けたい」とか「元気をもらった」が繰り返され、「絆」が盛んに使われた。
 被災地の高校に、全国の高校生が詠んだ短歌が応援メッセージとして届く。新年度の準備や授業の遅れに忙殺されているところへ感想を求めてくる。
 また交通手段が失われた生徒のために学校を宿泊所にすると、テレビ局が来て被災地の不便な事情を取り上げる。生徒は友達との合宿気分も悪くないと思っているのだが、それでは記事にならないと、違うコメントを求められるのだという。震災後に行った「聞き書き」で、被災地の高校の先生に取材した時の話だ。伝える側が、分かりやすさに偏るあまりに陥りやすい光景だろう。
 過去に大きな津波に遭ってきた所では、なぜ住み続けるのか分からないと、ボランティアに言われることもあったという。背景にきちんと目を向けないと、今起きていることの本質に到達することなどできない。
 「聞き書き」をする時にも心に掛けていることであるが、被災者に心を寄せるという行為もそういうことではないだろうか。
(みやぎ聞き書き村会員)


2020年03月09日月曜日


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