<まちかどエッセー・渋谷敦子>「こどもの日」の老婆心

渋谷敦子[しぶや・あつこ]さん 1956年にかほ市生まれ。山形大人文学部卒業。名取市在住。2008年まで市民による舞台芸術裏方集団「未来工房なとり」を主宰。05年より「みやぎ聞き書き村草子」、15年より「みちのく櫂(かい)草子」で聞き書き活動

 気付いたらもう新緑なのか、と思う人も多いのではないか。いつの間にか庭のナナカマドが大きく枝葉を広げ、アジサイの葉の間から花芽が顔を出している。季節は移ろっているのだ。
 今年の「こどもの日」は、いつもと違う形でやって来た。外出自粛と施設の休業で子どもは遊び場を失った。近くに住む5歳と2歳の孫もそう。出たがりやの男の子2人は、2月から放浪が始まった。大好きな仙台空港に行けなくなった。遊具がいっぱいある公園にも。
 この2人のエネルギーは相当なもので、わが家にやって来ると、リビングは10分で荒れる。5歳児は、大人の思い通りにはならないぞという顔で、よくぞここまでと悪さを思い付く。裸で走り回り、その勢いで外まで飛び出して行ったりする。ついでに外壁にまでよじ登っている。
 私は文字どおり、手をこまねいてただ眺めている。先年亡くなった母の「しつけがなってないね」という声が聞こえてくるようだ。
 児童虐待などの問題が起こるたびに、「しつけ」という言葉が安易に使われるのをみると、この頃この言葉が気になり始めた。「躾(しつけ)」をひもとくと、礼儀作法に限定する用語として、日本で生み出された国字とある。だとすれば、日本人の道徳感が強く反映されているようで興味深い。「人様に迷惑をかけないように」という教えは、日本人に特有のものだとも言われる。
 もう一つ「仕付け」が当てられることがあり、こちらは裁縫の仕付けに由来するらしい。親が子どもに生活習慣を形作っておき、仕付け糸を外して自立へ導くと、捉えることができる。
 どちらにしても問われるのは結局のところ大人側の生き方そのものか。「こうあらねば」にとらわれ、子どもにも押し付けがちになる。それは狭い了見だったりする。つい、「駄目、駄目」を発する自分がいる。
 連休明けにやって来た5歳に「どうしてたの」と聞いたら、田んぼのあぜ道でカエルを捕まえたり、アメンボ捕りに夢中だったりしたようで、既に真っ黒の顔であった。
(みやぎ聞き書き村会員)


2020年05月25日月曜日


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