<まちかどエッセー・渋谷敦子>聞き書き〜心に残る人々

渋谷敦子[しぶや・あつこ]さん 1956年にかほ市生まれ。山形大人文学部卒業。名取市在住。2008年まで市民による舞台芸術裏方集団「未来工房なとり」を主宰。05年より「みやぎ聞き書き村草子」、15年より「みちのく櫂(かい)草子」で聞き書き活動

 「聞き書き」を始めて15年になる。お話を聞かせていただいた方は20人ほど。どういうわけか大正14年生まれの方が多く、それは戦争に取られた若者と同世代だからなのかと思ったことがある。女性が多かったからだ。
 大正14年生まれというと、翌15年12月に昭和に変わるので、翌年の昭和2年には満2歳となる。文字通り昭和と共に生きた人たちなのだ。そして本当に戦禍の中をたくましく自立して生きてこられたのだった。
 その中に、特に忘れられない人がいる。
 高熱がもとで4歳の時に全盲になり、手習いから始めたお琴で身を立て、お弟子さんを何人も持つ、当時82歳のお琴の先生だった。幼少を過ごした茶の間の明るさそのままの、天真らんまんな方であった。
 戦前から戦後へと変わりゆく仙台のまちの記憶は鮮明で、家近くにあった陸軍の歩兵第四連隊の様子もよく記憶されていた。
 19歳でお琴の看板を上げ、進路に迷いながらも指導者として歩いてきた道のりを語る口調は明るく、悲憤慷慨(ひふんこうがい)無くとはこのことだろうと思った。
 それ故か聞き書きのほうは、前向きな生き方に心を奪われたままで終始してしまった。何か足りないと気付いたのは、書き上げて作品になった後のことである。
 あの無邪気な語り口の奥に秘めた思いをもう少し聞いてみたかった。私は彼女の話すことをちゃんと聞き取れたのだろうかという問いは後々まで残った。
 この時の悔いは、2015年にノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシェービッチの『チェルノブイリの祈り』を読んだ時にはっきりとした形になった。聞き書きの手法によるこの書は、巨大原発事故に遭遇しながら、黙して語れなかった人々の衝撃と悲しみを再現したものである。
 10年を要したというその数字が示す以上に、苦悩を共にできる接点が、人々に語らせるのだ。語る人と書き留める人。そこにあるのは他者への共感と信頼だろうか。先達の「聞き書き作品は聞き手の人間性を超えない」は今も胸に残る言葉である。
(みやぎ聞き書き村会員)


2020年06月08日月曜日


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