<まちかどエッセー・小林隆>方言の存在価値

小林隆[こばやし・たかし]さん 東北大方言研究センター教授。1957年新潟県生まれ。東北大国語学研究室を経て国立国語研究所研究員。2004年東北大文学部教授。博士(文学)。専門は方言学。著書に『ものの言いかた西東』(岩波新書)、『とうほく方言の泉』(河北新報出版センター)など。仙台市青葉区在住。

 言葉はコミュニケーションの道具である。知っていることや思ったことを伝えるのが言葉の役割である。これは言語学の常識であり、方言も言葉であるからには同じことだろうと思い込んでいた。ところが、そうした考えを根底から揺さぶる出来事があった。
 東日本大震災が起こった年、私の研究室では方言を巡る被災地支援の活動を行っていた。その報告会の折のことである。参加者のお一人が次のように発言された。「よく被災地を応援するスローガンを目にします。自分自身、家族や友人を失っているせいか、共通語の『がんばろう』という文字を見ると、ときどき腹が立つんです。何が頑張ろうだ、これ以上何を頑張れと言うんだ、と思うんです。でも、『がんばっぺし宮城』とか『負げねぞ宮城』と方言で書いてあると、『んだんだ、負げね!』と思うんです」。方言が被災地の人々を励まし、復興を応援する。先の方言道具観が吹き飛ぶような発言である。
 名取で方言の継承に取り組む「方言を語り残そう会」の金岡律子さんも次のように言う。「方言というのは、被災地にとって土の匂いのするふるさとの一つで、心が温かくなるものです。『どうしましたか』より『あんだ、大丈夫すかー、なじょしたのー』と言われた方が、うんと気持ちが温まります。方言がどんなにか人の心を和らげ、癒やし、落ち着かせるものか、今回の震災で改めて感じました」。ここでも方言が人々の心に響き、ぬくもりを伝える言葉であることが語られている。
 こうしてみると、どうやら方言は単なる情報伝達の道具ではないようだ。今や方言は人々の心に寄り添い、気持ちを豊かにする存在になりつつある。効率化、グローバル化の流れの中で、実用言語としての共通語が一気に広まった。しかし、地域に暮らす人々にとって、共通語は心に届く言葉にはなり切れなかった。その使命は方言に委ねられたのである。
 共通語があれば困らないというのは本当だろうか。方言は捨ててよいのだろうか。その答えは、方言の持つ心理的価値をいかに評価するかにかかっている。皆さんならどうお考えになるだろうか。
(東北大方言研究センター教授)


2020年10月26日月曜日


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