<まちかどエッセー・菅井理恵>「太陽」の記憶

菅井理恵[すがい・りえ]さん フリーライター。1979年喜多方市生まれ。テレビ局の記者を経て、写真家・宍戸清孝氏に師事。写真集・写真展の構成などに携わるほか、情報誌や経済誌などで人物ノンフィクションやエッセーなどを執筆。情報誌「りらく」では「東北における戦争」をテーマに「蒼空の月」を連載している。仙台市青葉区在住。

 「満州国」で暮らしていた81歳の女性が、昔を思い出して語った。
 「この年になって思い出すのは、ものすごく大きな太陽ね。うちの外には草原がずっと広がっていて、太陽は地平線に沈んだの」
 両親は乳飲み子の彼女を抱え、満州に移住。父親は事業に成功し、豊かな生活を手に入れたが、召集され、ソ満国境で戦死(自爆)した。敗戦で、母親に連れられ帰国したが、築き上げた財産を失い、戦後の生活は苦しかった。
 私は十数年前から、仙台在住の写真家、宍戸清孝さんに師事して写真を学びながら、文章を書く仕事もしている。宍戸さんの撮影に同行し、自分でも写真を撮るようになって、人間の目とカメラの違いを体感した。
 人間の目は、よくカメラに例えられる。瞳孔から取り入れた光を水晶体(レンズ)で屈折させ、網膜(フィルム)に像を結ぶわけだが、人間は、さらにその像を神経信号に変換し、脳へ伝達して物を見ている。そこには、それぞれの知識や経験、心情が強く作用しているという。
 実際に戦争を経験した人々にインタビューしていると、「太陽」にまつわる記憶の鮮明さにはっとすることがある。多くの場合、その「太陽」は、きっとカメラで写すよりも大きくて赤い。
 原爆で7万3884人が死亡した長崎。その高台に位置する経の峰墓地で、不思議な体験をした。夕暮れ時、緩やかな坂に沿って並ぶ墓石を一つ一つたどりながら、原爆で亡くなった方のお墓を探していた。
 沈む太陽が、雲の切れ間から西側の斜面に鋭く当たる。その時、名前の下に刻まれた「爆死」の文字が目に留まった。顔を上げて見回すと、私たち以外誰もいない墓地のあちらこちらで、金色で刻まれたはずの「爆死」の文字が赤く燃え上がっている。
 その数時間前、私は原爆資料館や被爆校舎を回り、被爆した方々の話を聞いていた。刻まれた文字が「太陽」に赤く照らされたことで、当時の長崎の情景が重なり、文字を刻んだ人々の叫びまで想起させる。自分の脳が見せる光景に心を締め付けられながら、人間は皆、同じ時、同じ空間にいながらも、それぞれの「事実」を見ているのかもしれないと感じた。
(フリーライター)


2020年11月16日月曜日


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