<奥羽の義 戊辰150年>(15)謎多い書簡 真筆はどこに

福島市の長楽寺で保存している世良修蔵の密書。複数ある同じ密書には「奥羽皆敵」と書かれているが、こちらは「奥羽○敵」(中央の部分)。○が何を意味するのか、世良の自筆なのかどうかは、今もって判然としない
世良修蔵の肖像画(山口県柳井市、公益財団法人僧月性顕彰会所蔵)

◎第2部 悩める大藩仙台/世良修蔵の密書

 奥羽諸藩と明治新政府が戦争へ突入する導火線となった長州藩士世良修蔵の暗殺事件。今年4月、50年ぶりに公開された史料があった。世良が薩摩藩士の大山格之助に宛てた密書と伝わる書簡だ。
 「奥羽皆敵」と書かれ、世良が仙台藩士に殺される契機となったこの密書は有名で、真筆と言われる文書は酒田市の本間家をはじめ各地に複数あるとされる。ただ真贋(しんがん)は諸説あり、密書を送ったこと自体を疑問視する研究者もいる。広く世に知られる割には謎の多い文書といえる。
 今回公開したのは世良の斬首場所と伝わる福島市舟場町の長楽寺。世良の定宿で、暗殺の舞台にもなった旅籠(はたご)「金沢屋」の子孫斎藤家から、1967年に営まれた世良100回忌の際に寄託を受けた。
 斎藤家は既に絶えている。書簡が同家で長年、人知れず保管されてきた理由を、同寺の中野重孝住職(66)は「東北を戦火に巻き込んだ世良はあまりに不人気で、表に出すのをはばかったようだ」とみる。歴史を再確認する機会にしようと、4月の150回忌の会場で参列者に展示した。
 着目すべきは、「奥羽皆敵」の一節が、この書簡では「奥羽○敵」となっている点。ほかにも「逆撃」が「進撃」、「米仙賊」が「米仙俗」と書かれるなど、従来知られる史料と表現が異なっている。
 「○」の意味は。文書を調べる福島市史編纂(へんさん)室の守谷早苗さん(66)は「丸々、全体という趣旨なら『皆』と同様と言えるだろう。世良と大山の間の符丁(隠語)かもしれない。ただ、伏せ字とも取れ、結論は出せない」と頭を悩ます。
 世良が信頼し戊辰後も世良の親族や大山と交流のあった同家だけに本人筆の可能性も捨てきれない。「万一に備え、控えを宿の主人に託したことも考えられる。世良の他の文書と筆跡を照合したい」(守谷さん)
 戊辰戦争の「鍵」である世良の密書は、150年を経た今なお、多くの謎に満ちている。(文・酒井原雄平/写真・鹿野智裕)

◎世良修蔵の密書(要約)

 大山様へ。仙台、米沢両藩主が出した会津藩の降伏謝罪の嘆願書を、九条道孝総督がやむを得ず受け取ってしまった。押し返そうにもこちらに兵力はない。京都に実情を説明し、奥羽は皆敵と見なして逆撃の大策を練りたい。私は江戸へ急ぎ西郷隆盛様と相談し、京都、大坂から大兵を挙げる。奥羽諸藩は1、2年のうちに朝廷のためにならない存在となる。軍艦を酒田沖に回し、前後から挟み撃ちするしかない。仙台、米沢の弱国2藩は恐れるに足りないが会津藩と組まれると面倒だ。手紙は途中で奪われるのを避けるため福島藩の足軽に持参させた。読んだ後は燃やしてください。

◎長楽寺は9月1〜17日、世良修蔵の密書と伝わる書簡を一般公開する。入場無料。


2018年08月05日日曜日


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