宮城新昌(みやぎ・しんしょう)─「垂下式」を考案(石巻市)─ 養殖カキ 世界に広める

新昌が考案した垂下式養殖法(辻さん提供)
宮城新昌
カキをかたどった新昌の顕彰碑。石巻と大宜味村の住民有志が協力して建立した=石巻市荻浜

 宮城を代表する海産物といえば、カキが思い浮かぶ。締まった身と濃厚な味わいは人気が高く、県の生産量は全国2位を誇る。
 三陸沿岸でのカキ養殖の隆盛は、宮城新昌(1884〜1967年)抜きには語れない。現在に続く「垂下(すいか)式養殖」を考案。石巻の地に生産拠点を構え、カキ養殖の普及に尽力した。「世界のカキ王」とも称される。
 新昌は沖縄県大宜味村出身。県立農林学校を卒業した1905年、米国へ渡る。現地のカキ養殖場を訪ねた際に有望性を見抜き、養殖の研究を開始。帰国後は神奈川県に養殖会社を設立した。
 日本でカキ養殖が始まったのは江戸時代とされる。稚貝を海にまいて成育させる「地まき式」や、木に稚貝を付着させる「ひび建式(だてしき)」などが中心だったが、いずれも生産性の低さが課題だった。
 革命を起こしたのが、新昌が23年ごろに考えた「垂下式養殖」。稚貝の付いた貝殻を縄に通し、海に垂下する手法だ。沖合や深い海中でできるため量産が可能になった。大規模な養殖場の設置場所に選んだのは石巻市の万石浦。植物プランクトンが豊富など条件の良さに着目した。
 いとこらと共に研究に励み、31年には石巻市にカキ養殖会社「国際養蠣(ようれい)」を設立した。種ガキの輸出にも力を入れ、養殖カキの存在を全国、世界に広めた。
 「カキは滋養がある。豆腐のように安く手軽に食べられるようにしたい」。新昌が生前、口癖のように唱えていたという。
 国際養蠣の後身の三養水産(石巻市)代表取締役で、新昌の親戚に当たる辻尚弘さん(46)は「誰もが自由に養殖事業を営めるよう、垂下式養殖の技術は特許を取らなかったと聞いている」と言う。
 新昌の死後、石巻市荻浜の海を見渡せる場所に顕彰碑が建立された。東日本大震災の津波で二つに割れてしまったため、地元の漁業者が再建委員会を設立。出身地の大宜味村の支援団体と2013年、近くに新たな顕彰碑を建てた。
 辻さんは「世界の食用カキの8割はルーツが石巻と言われている。世界に誇れるカキということを地元の皆さんに知ってほしい」と語る。
(石巻総局・大芳賀陽子)

[メモ]新昌はカナダでもカキの養殖技術を学び、帰国後は輸出方法の研究開発にも取り組んだ。次女は食生活ジャーナリストの岸朝子さん。新しい顕彰碑は、津波で流失した石巻市荻浜支所の跡地に建てられた。元の顕彰碑は津波で流されたが後に見つかり、新しい碑の隣に置かれた。


2020年04月27日月曜日


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