菅野貞子(かんの・さだこ)―仙台に洋裁学校創設(涌谷町)―東北の服飾教育リード

学生を前に講義する貞子さん(左)=1980年ごろ撮影
菅野貞子さん
赤を好んだ貞子さんが発表したドレス=1990年撮影

 広瀬川を望む仙台市青葉区支倉町にあるファッション文化専門学校DOREME(ドレメ)。初代校長の菅野貞子さん(1912〜2014年)が創設し、80年にわたり東北のファッション教育をリードしてきた。
 貞子さんは涌谷町出身。石巻高等女学校専攻科を修了後、日本洋裁界の草分け杉野芳子が創設したドレスメーカー女学院(東京)で高度で洗練された技術を学んだ。卒業後の1940年に東北初の洋裁学校、宮城ドレスメーカー女学院を仙台市一番町に開校した。
 和装が一般的だった時代に、一期生45人と洋装の下着作りから始めた。だが、直後の太平洋戦争開戦で軍用の服作りを余儀なくされ、45年の仙台空襲で校舎も焼失した。のちに学校法人理事長となる夫の故・忠雄さんと焼け跡からミシンを掘り出し、二人三脚で学校再建に取り組んだ。
 戦後のライフスタイルの変化は、貞子さんに追い風となった。進駐軍とともに米国文化が流入して空前の洋装ブームが起きた。女性が収入を得られる専門技術を学ぶ場や、花嫁修業の場として脚光を浴び、在校生は2000人を超えた。
 48年に仙台市公会堂(当時)で開いた東北初のファッションショーには、延べ8000人が詰め掛けた。貞子さんは進駐軍将校夫人のデザイナーとなり、52年には彼女たちに洋裁を教える国際クラスも開設した。
 「努力、礼節、明朗の頭文字が『ドレメ』」が口癖だった。貞子さんの養女で同校特別顧問の佐竹恵子さん(78)は「ショーの衣装は1、2ミリの寸法違いも直させた。自分にも生徒にも厳しかった」と振り返った。
 貞子さんの右腕だった講師の門馬よし子さん(71)は「赤が好きだった。研究熱心で80歳を過ぎても最新の流行を見に東京や海外に出掛けた」とほほ笑む。
 ドレメを運営する支倉学園法人本部長を務める孫の菅野麻那さん(34)も「ショーを成功させるために細部まで気を配っていた。女性としても祖母としても偉大な存在」と振り返った。
 ドレメは、76年に男女共学に移行するなど、時代とともに校名や教育内容を変更してきた。貞子さんが101歳の長寿を全うした後も、ものづくりの精神は受け継がれている。
 新型コロナウイルスの感染防止のため、ドレメでもマスクを作る機会が増えた。麻那さんは「祖母なら、どんなマスクを作ったかな」とつぶやいた。
(報道部・佐藤素子)

[メモ]2017年から校名が「ファッション文化専門学校DOREME」となった。デザイン造形学科、スタイリスト学科、ファッションビジネス学科など5学科で生徒は約50人。毎年2月に卒業制作発表会を兼ねたファッションショーを開いている。


2020年06月22日月曜日


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