千葉宗雄(ちば・むねお)さん―帆船日本丸船長(栗原市)―育てた船乗り1万人超

太平洋上を航行する日本丸=1957年(維一さん提供)
千葉宗雄さん=1960年(維一さん提供)
千葉さんが旧一迫町に寄贈した著書

 「海の貴婦人」とも称された国の大型練習帆船「日本丸」。旧一迫町(現栗原市)出身の千葉宗雄さん(1909〜92年)は、その船長を通算8年務めた。戦後の歴代船長の中で最長期間になる。
 農家の12人きょうだいの長男に生まれた。旧制築館中(現築館高)を経て、東京高等商船学校(現東京海洋大)に進んだ。「自身を鍛えるため、船乗りを選んだ」という。
 卒業後に就職した海運会社で国の航海訓練所を手伝うようになり、34年に入所した。
 日本丸船長には3度就いた。1度目と2度目は終戦後の46年と48〜49年。中国大陸などからの帰還者の輸送に従事した。3度目は54年から7年間、遠洋航海で実習生の育成に当たった。

 60年には日米修好100年記念の親善使節として、ニューヨークまで航海した。実習生ら約150人を率いて、パレードや式典に参加した。
 太平洋戦争後の反日感情、安保闘争による反米感情が入り交じる状況下での訪米。千葉さんは当時の覚悟を著書「練習帆船日本丸・海王丸」に「われわれはただ臆せず、善意の大道を進むしかない」とつづった。
 千葉さんのおいの千葉洋一さん(76)=川崎市=は幼少時、旧一迫町へ帰省した千葉さんに風呂に入れてもらったという。「船長というと、荒々しい海の男たちを統率するイメージだが、おじは優しく穏やかだった」と振り返る。
 日本丸を降りた後、航海訓練所長などを務め、船員育成に当たった。退官までの36年間に薫陶を受けた「千葉門下生」は1万人を超えるという。

 度々、実家に帰省した。墓参りを終えると、夫婦で花山地区の温湯温泉に泊まるのが定番コースだった。
 「定年になったら郷里に戻りたい」。千葉さんの長男維一さん(74)=神奈川県茅ケ崎市=は、父親が話していたのを覚えている。しかし退官後も海事関連団体の要職に就き、希望はかなわなかった。
 旧一迫町では「日本丸の船長さん」として知られ、名誉町民に推す声もあった。逝去から28年が過ぎ、地域で知る人は減った。
 市一迫公民館には、千葉さんの寄贈品が数点残る。千葉家の菩提(ぼだい)寺、起雲寺の住職菅原文悦さん(79)は「千葉船長は地域の誇り。このまま忘れられてしまうのは惜しい」と語る。
(栗原支局・門田一徳)

[メモ]栗原市一迫公民館には、千葉さんが寄贈したヨットの模型と日本丸の写真が残る。市一迫ふれあいセンター図書室と築館高は、寄贈著書「練習帆船日本丸・海王丸」を所蔵。帆船日本丸は、横浜市の日本丸メモリアルパークに係留、展示されている。


2020年09月18日金曜日


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