内ヶ崎作三郎(うちがさき・さくさぶろう)─政治家・牧師・学者(富谷市)─「慈善切手」実現に注力

整備中の記念館(左)の庭に立つ内ケ崎の胸像。1956年に建立され、富谷小にあったが、開館に合わせて生家に移された=富谷市富谷新町
内ケ崎作三郎
1937年発行の寄付金付き愛国切手とはがき

 大正から昭和にかけて県選出の衆院議員を7期務め、衆院副議長にも就いた富谷市出身の内ケ崎作三郎(1877〜1947年)。3年間の英国留学で国際感覚を体得し牧師や学者としても活躍、激動期の日本に確かな軌跡を残した。
 功績の一つに挙げられるのが、日本初の寄付金付き切手の発行。
 発端は旧制二高の先輩だった土井晩翠の長男英一の願いだった。ハンセン病や結核患者の救済のため「寄付金を上乗せして販売する慈善切手を」との訴えに心を動かされ、1933、35年と衆院に建議案を提出した。
 名称は愛国切手に、名目も航空事業の助成に変更されたが、37年に実現。福祉などに広く充てられる寄付金付き郵便の礎となった。

 政界では二大政党の一翼を担った立憲民政党に参画。最高刑を死刑とする治安維持法改正に反対する気骨を示し39、40年に同党幹事長、41〜45年には衆院副議長。41、42年には議長だった田子一民(盛岡市出身)と東北コンビを組んだ。
 「小柄で恰幅(かっぷく)がいい印象。国民服を着て入場してきたのを覚えている」。旧富谷町教育長の浅野昭一さん(91)は、内ケ崎が、現在の富谷中央公民館東側の講堂で行った演説会場にいた。12歳だった41年ごろといい「副議長の時ではないか」と振り返る。
 内ケ崎の姉の孫で、長年富谷郵便局長を務めた内ケ崎幸郎さん(88)は内ケ崎の生家「内ケ崎醤油(しょうゆ)店」に生まれ育った。「膝に抱っこされてかわいがってもらった」と懐かしむ。
 両親から、仲間の選挙応援に力を入れて一度落選したことや、政治活動のため相当の資産を手放したことなども聞かされたという。

 内ケ崎は旧制二高、東京帝大を卒業後、英オックスフォードのマンチェスター学院への留学を経て早大教授、牧師の道へ。人生を決定づける転機となったのが、二高時代のキリスト教との出合いだった。
 尚絅女学会(現尚絅学院)の創設者アニー・S・ブゼルの聖書研究会に、同じ二高生の吉野作造(大崎市)や小山東助(気仙沼市)らと参加。1898年、吉野と洗礼を受けた。
 吉野は民本主義を唱えた政治学者、小山は反骨の政治家として名をはせた。労働者団体「友愛会」を結成した鈴木文治(栗原市)も同時代のクリスチャン。内ケ崎は同郷同志との親交を大切にし、共に大正デモクラシーを担った。
 「広い視野で世界に目を向け、女性の地位向上や教育の充実などに取り組んだ。寄付金付き切手の実現に注力したのも先進地欧州の事情を知っていたからだろう」。富谷市民俗ギャラリーの清水勇希学芸員は内ケ崎の先見性をこう評する。
 旧宿場町の生家跡には来春、内ケ崎の記念館を核とする観光施設「富谷宿観光交流ステーション」が開館する。最新の調査で書簡や日記など約2000点の資料が生家から見つかっており、多面的な人物像をひもとく糸口になりそうだ。
(富谷支局・藤田和彦)

[メモ]内ケ崎作三郎は東京帝大で小泉八雲らから英文学を学び、多大な影響を受けた。キリスト教思想を軸に文明、教育、国際問題などに知見を深め、渡欧記「白中黄記」や伝記「リンカーン」など著書16冊を出版。キリスト教を基にした月刊総合雑誌「六合(りくごう)雑誌」にも多数の論文を執筆した。


2020年09月25日金曜日


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