大越有近(おおこし・ありちか)さん─抽象画家(大崎市)─独創的作風 海外で評価

アトリエでサンマをモチーフにした作品を手にする大越さん=2009年7月10日、大崎市鹿島台(大崎市提供)
大崎市鹿島台総合支所に寄贈された作品。作品名と制作時期は不明
2002〜05年に自費出版した3冊の作品集

 旧鹿島台町(現大崎市)生まれの抽象画家大越有近(ありちか)さん(1949〜2015年、本名・有近(くにちか))は、人間の深層心理に迫る表現を追い求めた。わずか20年ほどの活動期間。磨き続けた独創的な作風は、国内よりも海外で高い評価を得た。
 パステル画の色使いは大胆でカラフル。女性をモチーフにしたシルエットに、風景や幾何学模様をはめ込んだデザインが目を引く。
 幼い頃は抽象画の世界と電気機器の構造に興味を持った。人間を描くアプローチは、人間工学を学んだ青年期が土台にあった。
 古川高卒業後、東北工大と千葉大で工業意匠を学んだ。拓殖大工学部助教授として人間工学を研究しながら、絵画を小規模の展覧会に出品し、腕を磨いた。
 40代半ばに体調を崩して拓殖大を退職し、帰郷。自宅に隣接するアトリエで本格的に創作活動を始めた。
 師匠はいなかったという。それ故、枠にとらわれないユニークな画風を築く。2000年代は作品集3冊を自費出版し、精力的に海外の美術展に挑んだ。
 06年、ニューヨーク美術評論家特別賞やブルガリア国際芸術博覧会の芸術大賞などに輝いた。07年のモスクワ国際芸術博覧会では、ロシア美術アカデミー総裁の彫刻家ズラブ・ツェレテリ氏から欧州芸術文化特別功労賞を授与された。
 08年には北海道洞爺湖サミットのカレンダーも手掛けた。50代半ばで作品も売れ始めた。
 欧州で評価される一方、国内では依然、無名に近かった。「自分を受け入れてくれるのは海外だけだ」。フランス語を独学で学び、欧州に拠点を移そうと考えていたという。
 60代になると持病の糖尿病が悪化したが、大の病院嫌いで弟子も取らずに独身。交友関係も家族や同級生らに限られた。66歳で亡くなるまで独り黙々と創作活動に没頭した。
 幼なじみの元大崎市職員鈴木光太郎さん(71)は「晩年、画家を志す若者を集めた芸術学校を開きたいと話していた」と明かす。志半ばでの急逝に「本人も悔しかっただろう」と思いやる。
 アトリエに作品約200点が残された。姉の志田佳子さん(77)は、一部を大崎市鹿島台総合支所や地元の福祉施設などに寄贈した。「作品が地域貢献になれば」との願いからだ。
 生前、作品目録も作っていなかったとみられ、制作過程に不明な点も多い。
 「だからこそ、きれいな色使いを見てテーマを自由に想像するのが楽しい」。孤高に生きた画家の作品の鑑賞方法を、姉が教えてくれた。
(小牛田支局・山並太郎)

[メモ]大越さんはアトリエに気心が知れた一部の人のみを招いた。「描くときは『無の心』でいると自然に手が動く」が口癖だったという。現在、アトリエはなく、作品は姉の志田佳子さんが保管。寄贈したうちの一つが、大崎市鹿島台総合支所2階に飾られている。


2020年10月02日金曜日


先頭に戻る