大宮司雅之輔(だいぐうじ・まさのすけ)─旅館経営者(松島町)─鉄道つなぎ観光けん引

昭和初期に撮影された木造3階の観月楼
大宮司雅之輔の肖像画
木造3階の松島ホテル(左)と観月楼(中央右)

 日本三景で知られる松島町で、明治から昭和初期にかけて松島随一の旅館群を築いた旅館経営者大宮司雅之輔(1867〜1945年)。本業の傍ら松島海岸への鉄道敷設にも注力し、誘客増に向けた観光振興に取り組んだ。
 大宮司家と親戚関係にある武者家の長男として生まれた。長じて瑞巌寺の門前で旅館「観月楼」を営む大宮司善五郎の養子となり、事業を継いだ。
 各施設には著名人が数多く訪れ、当時、町内最大級だった松島ホテルには明治の実業家・渋沢栄一らが滞在。自ら建てた木造2階の純日本式旅館「白鴎楼」は初代首相の伊藤博文が名付けた。
 しかし、当時の東北線松島駅は内陸部にあり、松島海岸までの距離は約4キロ。雅之輔は誘客増のためにはアクセス改善が必要だと考えた。
 雅之輔は松島公園に関する県の委員になった1910年、「鉄道停車場を松島海岸近くに設ければ旅客は数倍する」などと訴え、線路の一部変更や支線敷設を求める意見書を出した。
 自説に基づき塩釜と松島を結ぶ松島軽便鉄道の取締役に就いたが、執行役員の不正で免許失効。次いで松島駅から五大堂に至る県内初の電車「松島電車」の監査役になったものの、経営不振で運行停止に陥った。
 その後、雅之輔は22年に宮城電気鉄道(現JR仙石線)の取締役に就任した。同鉄道は25年に仙台−西塩釜駅間で開業し、27年に松島公園駅(現松島海岸駅)への延伸に成功。現在まで残る観光路線となった。
 雅之輔に関する論文がある跡見学園女子大(東京)の元観光コミュニティ学部教授小川功さん(75)は「旅館主にも関わらず数々の交通機関に出資し、中心的役割を果たした。失敗もしたが最後に鉄道をつなぎ、東北の観光の先駆者と言える」と業績をたたえる。
 また、雅之輔は美術や文化への造詣が深く、寺社や松島公園の維持などに寄付を惜しまなかった。県内屈指の書画収集家として知られ、子孫が寄贈したコレクションは瑞巌寺と仙台市博物館で公開されている。
 岩沼市出身の医師で郷土史家の鈴木省三(雨香)が松島に転居した際は住居を世話するなどし、仙台藩下の歴史をまとめた「仙台叢書」や、幕末から明治期の庶民の姿を記録した「仙台風俗志」の発刊を支えた。
 町教委の学芸員森田義史さん(37)は「名望家として松島に宝を残そうと書画を集めたほか、郷土のために苦境にある文人にも手を差し伸べるなど、私財をなげうって地域の発展に尽くした」と話した。
(塩釜支局・高橋公彦)

[メモ]大宮司雅之輔が経営した旅館のうち観月楼のみ瑞巌寺の門前に現存する。明治前期に建てられた木造3階の瓦ぶきの建物で、東日本大震災前までは店舗として活用された。震災で被災し、現在は改修工事中。旅館経営のために創設した大宮司合資会社は株式会社大宮司として今に至る。


2020年11月13日金曜日


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