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<震災7年>3.11後方支援の教訓 「温かい食事を届けよう」官民多様な縁生きる

おにぎりなどの支援物資を車から運び出す尾花沢市鶴子地区の住民たち=2011年3月15日、仙台市宮城野区福住町

 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城が、発生直後から再生に向けて歩みだせた陰には、奥羽山脈の西に広がる山形からの迅速かつ幅広い支援があった。窮地にある宮城を救うため、復旧復興を下支えするため、「隣人」たちは何を考え、どう行動したのか。被災と支援を巡る教訓を仙山圏に探る。(山形総局・須藤宣毅)

◎再生への仙山連携(3)支援物資

 東日本大震災が起きた2011年3月11日、尾花沢市は震度5強を観測した。仙台市宮城野区の福住町町内会と災害時支援協定を結び、交流していた尾花沢市鶴子の住民は程なく震源が宮城県沖と知り、約束を果たす時が来たと悟った。

<温かい食事に涙>
 震災発生から数日、交流事務局の伊藤浩さん(66)=尾花沢市=はもどかしい時間を過ごした。菅原康雄福住町町内会長の携帯電話を何度鳴らしても、出る気配がない。「心配で福住町の人たちの顔が浮かんだ」と振り返る。
 連絡が取れたのは14日午後だった。「備蓄食料が底を突いた」という。急きょ当時の西塚一太郎連合区長宅で鶴子地区の役員ら十数人が会合を開き、「温かい食事を届けよう」と決めた。
 15日早朝、役員らは2升ずつ飯を炊いた。料理などしたこともなかった伊藤さんは、生まれて初めておにぎりを握った。握った人によって大きさや形がばらばらのおにぎり約500個が集まった。女性たちが畑の野菜を持ち寄り作った大鍋2杯のみそ汁とともに保温ケースに詰めて車に積み、午前7時に鶴子を出た。
 福住町には午前10時に到着。温かいおにぎりは近隣の避難所にも配られた。頬張りながら涙をこぼすお年寄りもいた。

<27市町村が贈る>
 酒田市の中通り商店街は3月18日、宮城県南三陸町に食材、コンロ、ガスボンベなどを運んだ。同町の商店街とは全国の商店街が08年に結成した「ぼうさい朝市ネットワーク」の仲間同士。同町への中継地として各地の商店街から酒田に物資が届き、何度も通った。
 佐藤英夫副理事長が営む仏壇販売店のファクスには続々と現地から依頼が届いた。中学校の卒業式に使う200人分のスリッパ、施設消毒用の薬剤など、普段なら地元商店が取り扱ったはずの商品も調達した。
 翌4月に同町で開かれた「福興市」で同ネットは各地の物産の提供に加え、地域通貨を使った売買を提案した。「ものを売ることが商人の元気の素。地域を活気づけるためにも早く商売を再開してほしかった」と佐藤さん。商人としての願いも支援物資に託した。
 市町村同士も連携を強めた。河北新報社の調べでは、山形県内35市町村のうち27市町村が宮城の自治体に物資を贈っていた。つながりは災害時支援協定のほか、姉妹・友好都市、観光・文化交流などさまざま。酒田、新庄両市と舟形町は、太平洋と日本海を高規格道路で結ぶ「みちのくウエストライン」構想の縁で石巻市や大崎市を支援した。

<ライバル助ける>
 被災者の生活再建に密接に関わる金融機関では、同業他社への支援が目立った。山形銀行は長谷川吉茂頭取が「ライバルだが隣同士。助け合おう」と指示し、七十七銀行に米1トン、卵8400個などを提供。その後、災害時協力協定に発展した。
 山形、米沢、新庄、鶴岡の4信用金庫は、12店舗中9店舗が被災した石巻信用金庫に食料、生活用品を搬送。建材を持参し、被災店舗の修繕もした。
 山形県信金協会の堀明彦事務局長は「信金の営業エリアは地域限定だが、企業のマッチングなどで県をまたぐ交流があった。そんな顔の見える関係が震災では生きた」と語る。


2018年03月01日木曜日


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