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<震災7年>3.11後方支援の教訓 県越えた命のバトン 高齢者受け入れに奔走

村井宮城県知事(右)に避難者の受け入れを伝える吉村山形県知事=2011年3月23日、宮城県庁

 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城が、発生直後から再生に向けて歩みだせた陰には、奥羽山脈の西に広がる山形からの迅速かつ幅広い支援があった。窮地にある宮城を救うため、復旧復興を下支えするため、「隣人」たちは何を考え、どう行動したのか。被災と支援を巡る教訓を仙山圏に探る。(山形総局・須藤宣毅)

◎再生への仙山連携(4)避難

 山形県庄内地方の特別養護老人ホーム18施設から集まった職員たちが、緊張した表情で自衛隊ヘリの到着を待ち受けた。
 2011年3月18日、庄内空港(酒田市、鶴岡市)。3日前に始まった津波被災地からの要介護高齢者の移送はピークを迎えた。

<特養の66人搬送>
 高台にあって津波の直撃は免れたものの、周囲の浸水で孤立した石巻市雄勝町の特養「雄心苑(えん)」から66人を受け入れる。
 自衛隊ヘリは太平洋沿岸と日本海沿岸の約150キロを4往復。着陸の度に自衛隊員が車いすやストレッチャーで高齢者を空港ビルに運び、保健師による健康診断の後、慌ただしく福祉車両で庄内地方の各施設に搬送した。
 未曽有の大災害。誰もが避難の長期化は避けられないと感じ始めた中で、真っ先に必要とされたのは高齢者の避難先だった。

<3万人収容提案>
 宮城県の要請を受けた山形県は3月15日、庄内地区特養連絡協議会に受け入れを打診。当時、協議会長だった石井良さん(61)が各施設に協力を求めた。多くは既に満床だったが、4人部屋に五つ目のベッドを入れるなどして、それぞれの施設が受け入れに備えた。
 石井さんが何より心配したのが高齢者の健康状態。事前に消防や病院と調整を重ねた。「夕方、全員が無事に入所したことを確認するまで、気が気ではなかった」と石井さん。雄心苑からの高齢者は12年4月の施設再開まで、庄内の各施設で避難生活を送った。
 一般の避難者への対応にも、山形県はいち早く動いていた。3月14日、市町村長に避難者の受け入れを依頼。20日には公共施設85カ所に一次避難所が設けられた。
 吉村美栄子山形知事は3月23日、宮城県庁に村井嘉浩知事を訪ね、仮設住宅での生活環境が整うまで避難者を受け入れる意向を伝えた。短期で最大3万人の収容と、長期の受け入れも提案した。

<時間短縮が課題>
 県は翌24日から1泊3食付き5000円で旅館・ホテルの部屋を借り上げ、長期避難者に無償提供する準備を本格化。山形県旅館ホテル生活衛生同業組合(佐藤信幸理事長)が窓口となり、345施設の1万2860人分のめどが立った。4月21日に宮城県から避難者の受け入れを開始した。
 旅館・ホテルが県境を越えて被災者を受け入れるのは初のケース。国に財政支援を働き掛け、実施を後押ししたのが当時、全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会長の佐藤理事長だった。3月13日から国土交通省、厚生労働省、観光庁と交渉。観光庁は24日、国が費用を負担する特別措置を各都道府県に通知した。
 食事、風呂、寝具のある旅館・ホテルは、被災者の避難生活を支える機能を備える。一方で震災後、山形県内のほとんどの旅館・ホテルは予約をキャンセルされた。長期の受け入れは被災者、宿の双方の負担を軽減する知恵でもあった。
 佐藤理事長は「震災発生から受け入れまで1カ月余りかかった分、被災者は疲弊し、旅館・ホテルは売り上げが激減した。実施までの時間短縮が今後の課題になる」と指摘する。

[メモ]宮城県から山形県内の老人福祉施設に移った高齢者は2011年4月1日時点で190人。集計を取り始めてから、宮城県の避難者が最多となったのは6月16日時点の964人。山形県への被災県別の避難者数は東京電力福島第1原発事故に伴う福島県が圧倒的に多く、12年1月26日のピーク時に1万3033人に達した。


2018年03月02日金曜日


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