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<回顧3.11焦点>自衛隊、南三陸で奮闘 孤立地域救った「命をつなぐ橋」

自衛隊が設けた水尻川の仮設橋(右)に、多くの車が行き交う。隣では新しい橋の建設が進む=2011年6月30日午前10時30分ごろ、宮城県南三陸町志津川

 東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県南三陸町で被災直後から活動していた自衛隊が30日、撤収した。行方不明者の捜索、がれき撤去のほか、食事配給や入浴サービスを展開し住民の避難生活を支えた。数多い支援の中でも地元が感謝してやまないのは、震災直後に水尻川に架かった仮設橋。孤立した地区を救い、「命をつなぐ橋」となった。
 南三陸町の志津川地区と南部の戸倉地区を結ぶ国道45号は、津波で水尻川河口の防潮堤が破壊され、川の南側の土砂は大きくえぐり取られて水尻橋も落ちた。
 水尻川を挟み、志津川地区は南北に分断。南側の林、大久保、黒崎に住む住民が北側の町中心部に行くには、川沿いの迂回(うかい)ルートを歩くことを強いられた。
 仮設橋は長さ40メートル。宮城県柴田町の陸上自衛隊船岡駐屯地の隊員が設置し、3月19日には通行できるようになった。
 志津川大久保の会社役員遠藤とし子さん(65)は「橋ができて、とても助かった。水道もなかなか通じなかったので自衛隊にはとても感謝している」と話した。
 志津川黒崎のホテル観洋ではいまも、約500人が避難生活を送る。水尻川の北側にある小中学校や診療所に向かう車は「ガタガタガタ」と音を鳴らしながら、交互通行で仮設橋を渡る。
 おかみの阿部憲子さん(49)は「橋がないと、10分で着くところが40〜50分かかる。大げさかもしれませんが、私たちにとっては命をつなぐ橋です」と語る。
 水尻川では対面通行できる新しい橋の建設が進んでおり、早ければ7月中旬に開通する。
 南三陸町で活動した最後の部隊は、多賀城市の陸上自衛隊第22普通科連隊第3中隊と熊本市に司令部を置く西部方面隊。町総合体育館前のテントで30日、保育園の子どもたちが住民の寄せ書きを自衛隊員に手渡した。ホテル観洋に避難する住民など約300人が感謝の言葉を記した。
 第22普通科連隊の福永智一中隊長は「特別なことではなくやるべき仕事を遂行した。若い隊員が想像以上に頑張ってくれた。寄せ書きを町で活動した応援部隊にも見せたい」と喜んだ。(渡辺龍)=2011年7月1日河北新報
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 東日本大震災の直後から、被災地で暮らす市民の課題を取り上げた河北新報連載「焦点」。震災7年の節目に、発生翌年までの主な記事をまとめました。
=肩書や年齢は掲載当時のものです。=


2018年03月03日土曜日


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