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<震災7年>3.11後方支援の教訓 物資、マンパワー集積

集積拠点に国内外から届いた支援物資=2011年3月、山形県天童市の山形県総合運動公園アリーナ

 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城が、発生直後から再生に向けて歩みだせた陰には、奥羽山脈の西に広がる山形からの迅速かつ幅広い支援があった。窮地にある宮城を救うため、復旧復興を下支えするため、「隣人」たちは何を考え、どう行動したのか。被災と支援を巡る教訓を仙山圏に探る。(山形総局・須藤宣毅)

◎再生への仙山連携(7完)拠点

 「被災した隣県に可能な限りの支援をしていく」
 2011年3月12日、吉村美栄子山形県知事は県災害対策連絡会議で、こう宣言した。メッセージは県のウェブサイトに載り、県民生活の正常化に意識が集中していた県職員は、発想の転換を迫られた。
 会議に先立ち、村井嘉浩宮城県知事と電話で会談。宮城県沿岸部の壊滅的な被害を伝える声は硬かった。居ても立ってもいられなくなり「何でも言ってください」と応じた。山形県内は最大震度5強だったが、被害は比較的少なかった。被災地への後方支援は山形の使命だと思った。

<陸自に輸送依頼>
 トップの号令で支援の動きが本格化。その一つが、混乱が続く被災地に代わる救援物資の集積拠点づくりだった。前例はなかったが、吉村知事は全国知事会に物資の受け入れを提案。山形県は保管場所として県内最大級の県総合運動公園アリーナ(天童市)を確保し、輸送は陸上自衛隊神町駐屯地(東根市)に依頼した。
 3月18日に受け入れを開始。物資の種類と数量を確認し、自衛隊員と県職員らが台車で体育館に運んだ。19日に北陸から飲料1000箱、20日には大阪府から毛布1万枚などが届き、アリーナは物資で埋まった。
 保存食や介護用品を積んだ自衛隊車両が石巻市に出発した20日を皮切りに、被災地への輸送もスタートした。当時、担当した県職員は作業しながら「東北は一つ」との思いを強めた。

<給水車の基地も>
 他の機関も、被災地に近く被害が小さい山形県に拠点を築いた。県農協中央会は全国の農協から寄せられた物資を山形市の研修所経由で宮城県に搬送。日赤山形県支部は山形市に借りた倉庫で国内外からの物資を仕分け、被災地のニーズに応じて発送した。
 宮城県に向かう給水車の補給基地も山形市に設けられた。山形市上下水道部は3月16日以降、香川県や山口県の自治体の給水車や、奈良県の民間企業のタンク積載トラックなどに水を提供した。
 被災地で宿の手配が難しいなどの理由から、各機関のベースキャンプの受け皿にもなった。警視庁、埼玉県警は山形県警察学校(天童市)を拠点に宮城県内の防犯活動を展開。全国各地の消防防災航空隊は、東根市のさくらんぼ東根温泉などに宿を取った。

<ガス事業者宿泊>
 東京ガス、大阪ガスといった全国17ガス事業者の社員500人は、天童市の天童温泉に宿泊。3月17日から順次、大型バスで仙台市に通い、一般家庭のガスの開栓などを行った。
 広島ガスは約50人を派遣。福井謙一課長代理は初めて被災地支援に参加し、進行管理を担当した。各社員は作業リストと地図を持って1日30〜40軒を回り、検知器で安全確認の上、ガス栓を開いた。20キロを踏破する日もあったが、温泉で疲れを癒やし、4月16日までの長丁場を乗り切った。
 広島県は南海トラフ巨大地震で大津波が心配されている四国の後背地だ。福井課長代理は「大規模災害では広域的な連携や支援が欠かせない。派遣を通し、復旧復興の関係者や物資の拠点として、被災地に隣接した地域の役割の重要性を感じた」と振り返る。(山形総局・須藤宣毅)

[メモ]集積拠点となった山形県総合運動公園アリーナなどに集まった支援物資は2011年5月17日時点で米、粉ミルク、衣類、紙おむつなど1万5255品目。自治体、企業団体のほか、個人で搬入する地元住民もいた。全品目の93.4%が仙台市、気仙沼市、南三陸町など宮城県内8市5町に運ばれた。


2018年03月05日月曜日


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