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<内陸被害は今>(2)宮城県涌谷町 商店街の衰退に拍車

倒壊した建物は取り壊され、空き地が目立つ=2月、宮城県涌谷町本町
中心商店街では3階の建物が崩れ、道をふさいだ=2011年3月11日、涌谷町本町(涌谷町提供)

 東日本大震災による被害は、津波が襲った岩手、宮城、福島をはじめとする沿岸部だけではない。内陸部も地震で大きな打撃を受け、今なお、その爪痕や影響が残る。3県の内陸被災地を歩き、発生から7年に及ぶ日々を振り返る。

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 宮城県北の大崎地方は東日本大震災の際、中心都市・大崎市で3000棟を超す住家が全半壊するなど、県内の内陸部では最大級の建物被害が出た。東部に位置し、当時の人口約1万7700の涌谷町も737棟の住家が全半壊。間もなく震災から7年を迎える町内には、空き地が目立っている。

<道に倒壊家屋>
 「地震が発生し、周囲の家がぐらぐらと大きく揺れるのを見て、この世が終わるのかと思った」。町自主防災組織連絡協議会の小野秀一さん(69)が強烈な揺れを振り返る。
 町内で営む仏具店は、店内の約200基の仏壇のうち160基が倒れた。「足の踏み場もなかった。多くは修理できず、壊して処分するしかなかった」と小野さん。被害額は数千万円。同業者などの支援はあったが、損失は完全には埋まらなかった。
 当時、町の防災班長だった達曽部義美さん(59)=町地域振興公社統括部長=は、大崎市で会議中に地震に遭った。亀裂が入り、倒壊した家屋でふさがれた道を町へと急いだ。普段の倍の約1時間かけて町に着くと、中心商店街の建物が所々で倒れて道を遮っていた。その後、取り壊されて再建されない建物も多く、「中心商店街の衰退に拍車が掛かった」と話す。
 町内で最も深刻な被害は河川沿いだった。「地盤が弱く、建物の倒壊が相次いだ。堤防の上を走る道の液状化も起きた。震災直後に大雨が降っていたら、大きな被害につながる危険があった」と達曽部さん。

<自主防 全区に>
 想定外の揺れと被害で、町民の危機意識は急速に高まった。震災前、町内の39行政区に五つしかなかった自主防災組織が各地で組織され始めた。自主防は13年12月に全行政区を網羅し、連絡協議会が設立された。宮城県内では東松島市に次ぐ早さだった。
 協議会設立から4年。組織づくりに積極的だった人が亡くなり、活動が鈍り始めた地域もある。急速に盛り上がった意識は冷めやすいのか。
 小野さんは「防災訓練を続けている自主防は全体の7〜8割。役員の高齢化も目立つ。継続の大切さを訴えていかないといけない」と気を引き締めている。
(小牛田支局・矢嶋哲也)

<被害概要>
 大崎地方東部の宮城県涌谷町の住家被害は全半壊737棟、一部損壊762棟。死者は町外の7人を含め8人。隣接する美里町は全半壊756棟、一部損壊3130棟で、死者は町外9人、関連死1人だった。大崎市は死者18人(市外11人、関連死5人)。住家被害は全半壊3030棟、一部損壊が9138棟で、県内の内陸自治体で最大の被害が出た。


2018年03月07日水曜日


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