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<震災7年 仮設入居者のいま>大熊へ必ず帰る「どんな仕事でもいい、町に稼げる場を」

心の支えだった愛猫クーをしのぶ坂井さん。寒くないようにと骨つぼを入れた箱を服で覆い、毎日、餌を供えている=福島県会津若松市

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で住み慣れた古里を失い、今なお仮住まいが続く人々がいる。自立への不安、励まし合った日々、つらさに耐え、抱き続ける帰還の願い−。仮設住宅で7年を迎える、それぞれの思いとは。

◎会津若松 坂井かつえさん(61)

 福島県大熊町熊川の町営住宅に住んでいた坂井かつえさん(61)は、東京電力福島第1原発事故で会津若松市の一箕町長原地区応急仮設住宅に避難している。
 自治会副会長を務め、除雪や草取りが日課だ。「土地を借りて住んでいる。雑草を放置していたら、他人から『大熊の人は何をしているんだ』と思われる。見える所だけでもきれいにしておかなきゃ」と笑う。
 原発事故が起き、長男常雄さん(39)、愛猫クーと車で避難した。目的地もなく、西へ、西へと逃げた。着の身着のままで所持金は2000円だった。郡山市の避難所、福島県北塩原村のホテルで数カ月過ごし、会津若松市に移り住んだ。
 慣れない土地でつらい日々が続いた。皿洗いなどのアルバイトをした後、縁あって老人介護施設で本職の看護師の仕事に就いたが、同僚から「原発事故で金をいっぱいもらったので、働かなくてもいいんじゃない」と言われ、傷ついた。
 2016年12月に退職した後は、大手術をし、クーが死んだ。「7年は長過ぎる。自分たちの声はどうせ届かないと諦める町民が多い。亡くなった人や補償金が底を突いた人も少なくない」と嘆く。
 大熊町に戻ると言い続けてきた。町が来年、復興拠点の大川原地区に整備予定の町営住宅に住みたいと考えている。「戻ったら山菜採りや山歩きを楽しみ、墓をまめに掃除したい。どんな仕事でもいい。町にコメ代を稼げる場を設けてほしい」。古里で再び働くこと。それが唯一の望みだ。(会津若松支局・跡部裕史)


2018年03月09日金曜日


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