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<3.11後方支援の教訓>機能補完に企業が注目/フィデア総合研究所 熊本均上席理事

熊本均(くまもと・ひとし)酒田市出身。北大卒。84年富士銀行(現みずほ銀行)入行。荘銀総合研究所(現フィデア総合研究所)主席研究員などを経て14年6月から現職。専門は地域産業政策。57歳。

 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県の復旧復興を陰で支えたのは、隣の山形県だった。大規模災害発生時の後方支援の在り方や仙山交流との関わりなどについて、岩手大地域防災研究センターの福留邦洋教授(都市科学)、フィデア総合研究所の熊本均上席理事に聞いた。(聞き手は山形総局・須藤宣毅)

◎再生への仙山連携 専門家2氏に聞く

 −震災では山形空港が活躍した。
 「震災前、利用が先細る山形空港の必要性を疑問視していた。震災では被災した仙台空港に代わり、空の玄関口、防災ヘリの拠点となった。高齢者の避難にも使われた庄内空港とともに、非常時の地方空港の役割について認識を改めた」
 「災害対応のために維持するのは合理性を欠く。平時から利用され、経営が成り立つ必要がある。仙台空港と山形の2空港の活用を念頭に、利用客が到着地と出発地で異なる空港を使う『オープンジョー』といった施策を両県主導で進めるべきだ」

 −仙山圏の経済活動に変化は。
 「震災前は日本海側から太平洋側に物資を運ぶ発想はほぼ無かった。震災では太平洋側の港が被災したほか、高速道、鉄道が寸断され、宮城の企業は必要な物資を山形から調達した。逆に山形には宮城から廃棄物処理などの依頼があった。これらを契機に両県に新たな商いの道筋ができた」
 「宮城が甚大な被害を受けた一方、山一つ隔てた山形は被害が少なかった。仙山圏は大規模災害が起きても隣県がいち早く支援し、機能を補完できる。仙山圏以外の企業が、事業の継続性という点でこの地域を見る目は変わったはずだ」

 −2001年の仙山圏交流研究会発足に関わって以来、交流を推進してきた。
 「長年の地道な顔つなぎが県境を越えた支援に生きた。市民はわがことのように被災地を心配し、行動した。行政は住民の生命財産を守る重要なパートナーとして関係を深めた。官民ともに距離が一気に縮まり、災害時応援協定の動きが広がるなど、交流の機運が一層高まっている。震災で仙山圏が一つになった姿に、私は東北人の自覚が生まれた。同じ思いを抱いた人は多いのではないか」


2018年03月14日水曜日


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