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<存廃のはざまで 秋田・岐路に立つ伝統工芸>(上)担い手不足 途絶える歴史 継承に壁

秋田銀線細工を手掛ける松橋さん(手前)と渡辺さん。ピンセットを使いこなし、ブローチなどを作る
立体的な彫刻が特徴の秋田焼。商品(左)に比べ、個人が所有する使い込んだ物(右)は黒く輝いている

 秋田県内で進む人口減少は、伝統工芸品にも暗い影を落としている。職人が減っており、後継者がいないために廃業した工房もある。一方で、長年継承されてきた技を絶やすまいと、制作過程の記録などを通して存続に取り組む動きも出始めている。厳しい現状と向き合う姿を追った。(秋田総局・藤沢和久)

<「秋田焼」廃業>
 秋田市中心部、中通2丁目の「食器のさかいだ」に、立体的なだるまの細工を施した素焼きの急須がある。同市で100年以上続いた「秋田焼」で、土の鉄分と茶の成分のタンニンが反応し、使い込むほどに黒光りして頑丈になる。風合いの良さからファンは多かったが、商品は店頭の一つのみ。窯元の三浦道楽(本名・銀一郎)さんが昨年6月、75歳で亡くなり、工房を閉めたためだ。
 秋田焼は1893年の創業。三浦さんは3代目だった。2代目には複数の弟子がいたが、残ったのは三浦さんだけだった。
 昭和の終わりごろは、仙台市や首都圏で開かれる物産展の目玉商品だった。手作業のため大量生産はできず、夜や日曜日に作業することもあった。販売を担った妻ユリ子さん(71)は「3カ月かけて作ったものが、3日で売り切れた」と振り返る。
 釉薬(ゆうやく)を使わないため、土の粘りが強くないと、ひびが入る。一般的な陶芸用の土は使えず、夫婦で県内を探し歩いた。ダルマの目が動き、傾けるとカエルが飛び出すなど、特徴的な細工を覚えるには10年以上かかるという。
 二人三脚で秋田焼を支えたユリ子さんは、2人の娘に継いでもらうことも考えた。だが、「結婚や子育てに忙しく、片手間にできる仕事ではない」と思い直した。弟子もおらず、廃業せざるを得なかった。

<人気は高まる>
 担い手不足は、県を代表する工芸品「秋田銀線細工」でも深刻になっている。数軒ある工房のうち、秋田市中通2丁目の竹谷本店では、1985年ごろ7〜8人いた職人が、松橋とし子さん(55)と渡辺圭子さん(49)の2人になった。
 約0.2ミリの純銀線を2〜3本より合わせて作る。より線の向きを変え、銀の輝きと白のコントラストを出す。スズランのブローチの場合、花びら1枚は数ミリで、熟練の技が光る。
 「最初は下ごしらえ。7〜8年たって作品を任せてもらえるようになった」と渡辺さん。若手がいない今は、松橋さんと2人で全工程を手掛ける。
 職人の減少と反比例するように、銀線細工の人気は高まっている。外国人観光客が来店することもあり、より手の込んだ2万円前後の作品が売れ筋になっているという。
 最近になって、弟子入りの志願者が現れるなど明るい光が差し始めた。ただ、首都圏からの出品の誘いは品質を保つために断っている。竹谷康子取締役(63)は「秋田で買えない、という状況にはしたくない。この地で作り、売り続けられることが一番だ」と話す。


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2018年03月30日金曜日


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