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<戊辰戦争150年>論考・維新と東北(10完)「辺境」イメージ 決定的に

河西英通(かわにし・ひでみち)1953年11月、北海道生まれ。弘前大卒、北海道大大学院博士課程満期退学。上越教育大助教授を経て2007年から現職。著書に「東北−つくられた異境」「『東北』を読む」など。
会津藩主松平容保らが臨んだ降伏式の様子を描いた「会津軍記 会津藩降伏の図」(会津若松市蔵)

 東北は今年、戊辰戦争が勃発してから150年の節目を迎えている。各地を戦禍に巻き込んだ戦争はなぜ起きたのか。奥羽諸藩は本当に「賊軍」だったのか。東北近代の歩みにどのような影響を与えたのか。研究者らの視点を通し、改めて戊辰戦争を問い直す。(会津若松支局・跡部裕史、福島総局・大友庸一)

◎軍事的敗北の影響は/広島大大学院教授・河西英通さん

 <戊辰戦争の敗北は東北にどんな影響をもたらしたのか。東北の近代史を研究する広島大大学院教授の河西英通さん(64)は「東北イコール辺境のイメージを決定づけ、その後も印象の再生産が続いた」と指摘する>

◎未開の地 固定化

 江戸時代の日本は基本的に親藩・譜代・外様といった来歴や、財政規模を示す石高で藩のステータスが決まっていた。「東北」「西南」など地域区分はなく、モザイク状の社会だった。
 中央集権的な政治行政が定着した途端、東北が「貧しい未開の地」で、西南が文明的で「進んでいる」というイメージが固定化していった。「白河以北一山百文」史観が成立する。
 近代になって進んだモノカルチャー化が背景にある。東北の産業がコメ作りに集約される中、経済発展の歴史や可能性も消えていく。凶作・飢饉(ききん)も、一元的農業ゆえの落とし穴だった。
 植民地ができてコメの輸入が増えると、東北の産業が空洞化する。宿命的な遅れではなく、国の政策的な判断もあり、結果的に「遅れた地域」とみなされていった。

 <軍事的敗北は、東北人の自己認識にどんな影響を与えたのか>

◎西南日本に対抗

 東北と一口に言っても太平洋側と日本海側で気候・風土は異なる。県内でも青森の「津軽」「南部」のように地域の成り立ちが違う。都市と地方の格差や対抗意識もある。ばらばらなのに、藩閥政府批判や西南日本に対抗するため「東北意識」が育まれていく。
 (1887年からの)明治20年代の自由民権運動の中で「第二維新論」と東北主義が生まれる。東北の運動家は「第二の維新を起こそう」と、とりあえず明治維新を「第一の維新」として肯定する。その上で「これから求められる『第二維新』はわれわれがやらせていただく」と訴える。
 明治22、23年の青森県の新聞記事などには地域や歴史への複雑な思いが語られている。レトリックの側面もあると思うが「自虐史観」。未開だから「開発されなければならない」という東北開発論につながった。

 <凶作や身売りといった東北の貧困は1935年からの昭和10年代、昭和維新運動に結び付く>

◎「正義」の視点に

 貧しさは東北だけの問題ではないのに、ひたすら東北の貧しさが強調され、帝国主義的対外膨張に突き進む。東北人自身も国家的使命感を強く意識する。自分たちは強い兵士であり、東北は食料や資源を供給し戦時体制を支える−というプライドを持つ。
 ナショナリズムの高まりの中で否定的イメージは薄まるが、敗戦で植民地を失うと東北は再び「辺境」に戻る。一方で「資源は東北にしかない」と、また東北開発論に注目が集まる。高度成長期には、失われた日本の「原郷」「異境」という印象も付与された。東日本大震災でも「我慢強い東北の人々」が称賛された。
 戊辰戦争は東北全体が敗者だったわけではない。秋田藩や弘前藩など官軍についた藩もあった。しかしその後の歴史を見ると、東北は全体として後進地化、植民地化されていく。
 戊辰後150年の歩みを眺め、これからの150年を展望するとき、浮かれた勝者や中央ではなく、苦汁をなめた東北や周辺側によって立つことが大事。その時、東北の視点は決して「敗北」ではなく、新しい歴史像を描く「勝利」「正義」の視点になるはずだ。


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2018年03月30日金曜日


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