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<あなたに伝えたい>思いやりのある人間になる

仙台への引っ越しを翌日に控え、恩師にあいさつをするため、母校の志津川高志翔学舎を訪れた美里さん=3月28日、宮城県南三陸町

◎小山美里さん(仙台市青葉区)から幸吾さんへ

 美里さん 震災当時、小学5年生でした。壁のような津波が押し寄せる中、裏山の神社に避難し、友達と肩を寄せ合って夜を明かしました。家族を思って泣きました。じいちゃん、ばあちゃんはどうしているだろうと不安でした。
 両親は共働き。いつも祖父母と一緒でした。両親や2人の兄、祖母は助かりましたが、祖父の安否は分かりませんでした。「じいちゃんならきっと山に避難して生きてる。ひょっこり、にこにこして戻ってくっから」と話していました。
 祖父は田んぼで被災しました。いつもばあちゃんと田植えや稲刈りをした大切な場所。肩を落として「独りぼっちだ」と寂しそうにつぶやいた祖母の姿に、胸が締め付けられました。
 祖父母は苦労してお金をため、家を建て、田畑を手に入れ、作物を育ててきました。お盆に玄関先でわらを燃やし、ご先祖様を迎えた夏の宵、闇を照らすやさしい炎といつも穏やかだった祖父の笑顔を思い出すと心が温かくなります。
 震災から7年間。友達がストレスで体調不良に苦しむ姿や、祖父を失って悲しみに暮れる祖母の姿を目の当たりにしました。苦しみの中にある人の心を支える仕事がしたい。臨床心理士を目指し、今月から東北福祉大(仙台市青葉区)に進学します。
 優しかった祖父の孫であることは私の誇りです。じいちゃん、見ていてね。傷ついた人たちの心を救えるような大人になるよ。じいちゃんのように人を思いやれる人間になるよ。

◎穏やかで優しかったじいちゃん

 小山幸吾さん=当時(81)= 宮城県南三陸町戸倉で孫の小山美里さん(18)ら3人、子ども夫婦、妻の7人家族で暮らしていた。東日本大震災の地震後に妻の安否を確かめるため自転車で自宅の田んぼを見に行き、津波にのまれたとみられる。遺体は震災翌月の4月、田んぼ近くの寺院付近で見つかった。


2018年04月01日日曜日


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