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<慰霊碑をたどる>8年目の被災地(1)和やかな病院 天国でも

雄勝病院の入院患者と職員の名が記された慰霊碑=石巻市雄勝町

 東日本大震災の被災地に立つ慰霊碑やモニュメントは、訪れる人々の祈りを受け止めてきた。それらには一体、どんな願いが込められているのか。震災発生から8度目の春。碑を巡り、遺族や関係者の思いをたどる。(報道部・水野良将)

◎「生きた証し」石巻市雄勝町

 高齢の母とその娘が木製の慰霊碑に語り掛ける。石巻市雄勝病院に入院していた家族を津波で失った。「天国で病院職員や患者の皆さんと、思いっきりお話ししてるんだろうね」
 石巻市雄勝町中心部の更地にたたずむ慰霊碑。津波で死亡・行方不明になった雄勝病院の入院患者40人、職員24人の名前と年齢が記されている。

 2011年3月11日午後2時46分。雄勝病院は鉄筋コンクリート3階建て。最上階の入院患者40人の平均年齢は約85歳で、自力で歩ける人はほとんどいなかった。
 目前の雄勝湾から津波が迫った。院長以下、職員は患者の救命に奔走する。「この人を上げて!」。看護部長の指示で4人の男性職員がベッドのシーツの四隅を持ち、患者を乗せて屋上へ急ぐ。濁流は屋上に達し、ナースステーションの時計の針は3時27分で止まった。
 震災前、入院病床の40床は常に満床だった。雄勝町や石巻地方の患者を受け入れ、身寄りのない人もいた。脳疾患などの影響で長期療養を必要とする患者らが和やかに過ごしていた。
 複数の患者遺族は「病院の皆さんに親切にしてもらい、安心感があった」と感謝する。震災時に看護師だった女性らが懐かしむ。「看護部長が母親、スタッフが子どものようで、家庭的な温かい環境でした」

 被災した病院の玄関前には会議用のテーブルが置かれた。訪れた遺族らが花や菓子、飲み物などを供えた。行方不明者の家族は泣きながら叫んだ。「おじいさん、来たよー!」
 病院は13年7月に解体され、慰霊碑は翌8月、玄関があった辺りに設置された。職員でつくる「雄勝病院の会」が費用を出し合い、交流のあった山梨県の造園業者らの協力で建立。64人の名前の上に供養のユリの花が描かれた。
 一人一人の名前は、一人一人の生の証しでもある。会のメンバーで事務長だった60代男性は「名前や年齢を記したのは自然の流れ」と話す。
 当初病院跡地に建てられた慰霊碑は今、院長らの官舎があった場所にある。周辺で18年度内に市雄勝地区慰霊公園の整備が始まるのに伴い、会は碑を近くに移して仮設置。19年3月11日までに再び病院跡地に建立する予定だ。
 看護師だった50代女性は毎年3月11日、碑の前で犠牲者の冥福を祈る。碑の名前と年齢を目で追い、静かに手を合わせて語り掛ける。「なかなか来られなくてごめんなさい。何とか頑張っていますから安心してくださいね」


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2018年04月06日金曜日


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