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<慰霊碑をたどる>8年目の被災地(2)276人、遺族の思いを刻む

海を望む慰霊碑と観音像に手を合わせる遺族ら=2017年2月、石巻市北上町

 東日本大震災の被災地に立つ慰霊碑やモニュメントは、訪れる人々の祈りを受け止めてきた。それらには一体、どんな願いが込められているのか。震災発生から8度目の春。碑を巡り、遺族や関係者の思いをたどる。(報道部・水野良将)

◎「海を望む丘に」 石巻市北上町

 宮城県石巻市北上町の三陸復興国立公園駐車場の隣接地に慰霊碑が立つ。隣には穏やかな表情の観音像。東日本大震災の津波が到達しなかった高台にあり、太平洋を望む。
 訪れた北上町の電器店経営千葉幸一さん(64)が静かに手を合わせる。津波で店と自宅を失い、妻と2人の息子を亡くした。近くに暮らしていた母あや子さん=当時(84)=の行方が分からない。「骨のひとかけらでも見つけてお墓に納めたい」。慰霊碑の前で祈る。

 慰霊碑は地元の共に建設業の山内組と武山興業、葬祭業の土田葬祭が建立した。七回忌を前にした2017年2月25日に開眼式を執り行った。
 276人の犠牲者の名を刻んだ。山内組の山内孝弘社長(63)は惨禍が繰り返されないでほしいとの願いを込めた。「過去に津波被害がなかった地区では、『津波が来るはずねえ』とお茶を飲んでいて亡くなった人もいる」と言う。
 山内さんは震災発生後、消防団活動の傍ら、重機をかき集めてがれきを撤去した。連日、遺体を目にする。「自分は津波から生かされた。何かやんなきゃねえな」。そんな思いを強めた。
 どこかに手を合わせる所が欲しい−。時がたつにつれ、地域でそうした声を耳にするようになった。
 山内さんらは慰霊碑の適地を探し歩き、今の場所にたどり着いた。津波が来なかった場で海が見える。駐車場もある。
 そこは私有地で、木々が生い茂っていた。建立の趣旨を所有者側に理解してもらい、土地を譲り受けて造成した。
 犠牲者の名を刻むに当たり、遺族の意向を尊重した。276人には北上町に縁があった町外の20人が含まれる。

 宮城県大衡村の石川祐一さん(56)、貴美子さん(56)夫妻は、長男拓真さん=当時(26)=の名を刻んでもらった。
 震災発生当時、拓真さんは警備会社に勤務。現金自動預払機(ATM)の補充業務で旧北上総合支所にいた。近くの福祉施設の入所者らを支所2階に避難誘導した後、津波にのまれて行方不明となった。
 石川さんは語る。「息子と同じ立場だったら同じことをしていた。親とすれば、息子の名前を碑に刻むことで確かに北上にいたという証しになる」
 震災の月命日、夫妻は北上町に足を運ぶ。海を眺めながら、息子は海にいるんじゃないか、と貴美子さんは思いをはせる。


2018年04月07日土曜日


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