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<慰霊碑をたどる>8年目の被災地(3)命つなぐ「より遠くへ」

古里の慰霊碑を見詰める佐藤さん=気仙沼市杉ノ下地区

 東日本大震災の被災地に立つ慰霊碑やモニュメントは、訪れる人々の祈りを受け止めてきた。それらには一体、どんな願いが込められているのか。震災発生から8度目の春。碑を巡り、遺族や関係者の思いをたどる。(報道部・水野良将)

◎「古里の教訓」気仙沼市

 あの日の古里の教訓が、慰霊碑に刻まれている。
 「大地が揺れたらすぐ逃げろ より遠くへ…より高台へ…」
 東日本大震災の津波で、気仙沼市杉ノ下地区は住民312人の約3割に当たる93人が死亡・行方不明になった。
 父の萬(よろず)さん=当時(80)=を亡くした小野寺敬子さん(57)が教訓に託した思いを明かす。「遺族のために作ったけれど、全国どこの碑に刻んでも通じる。南海トラフ巨大地震など今後、津波被害が起こる地域への警告になる」
 海に近い杉ノ下地区の人々はノリやワカメの養殖で暮らしてきた。1896年の明治三陸大津波で多くの住民が犠牲になった。定期的に避難訓練を実施し、一人一人の防災意識は高かったという。
 だが、今回の震災で、地区は市指定避難場所だった海抜11メートルの高台も濁流にのまれ、避難した多くの住民が命を落とした。高台よりさらに内陸まで避難した人は命をつないだ。
 小野寺さんは強調する。「海のそばで津波の危険と隣り合わせで生きてきた。地区では避難訓練を完璧にやっていたのに、駄目だった。なんぼでも内陸の高い所に逃げてほしい」
 地区の遺族でつくる「杉ノ下遺族会」は2012年3月、指定避難場所だった高台に慰霊碑を建立した。幼い子どもから高齢者まで計93人の名が刻まれた。
 慰霊碑は周辺の市道拡幅工事に伴い昨年12月、近くの防災広場に移された。遺族会長の佐藤信行さん(67)は市に「遠くへ移さないでほしい」と要望していた。慰霊碑は杉ノ下に人々が住んでいた証左でもある、と佐藤さんは考える。
 佐藤さんは震災で母しなをさん=当時(87)=を失い、妻才子さん=同(60)=の行方が分からない。震災発生からしばらくして、2人があの日、高台に避難していたと聞いた。
 才子さんは地区の避難訓練に欠かさず参加し、震災2日前の3月9日に津波注意報が発令された際も高台へと向かった。
 「本当に真面目でね。何となく慰霊碑に来れば会えんのかな、ってね」。佐藤さんは40年間連れ添った妻の帰りを待つ。
 慰霊碑がある場所からは杉ノ下地区全体を見渡せる。地区は災害危険区域に指定され、住民は移住を余儀なくされた。どこに何があったのか、地区の営みの記憶が薄れつつある。
 1年に1回でいいから、教訓と古里を忘れないためにも慰霊碑に住民が集いたい。佐藤さんはそう願う。


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2018年04月08日日曜日


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