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<私の復興>避難所の経験伝える

3.11メモリアルネットワークの会合で話す山田さん

◎震災7年1カ月〜石巻市 3.11メモリアルネットワーク副代表 山田葉子さん(50)

 「私にやれることがあるなら、やる」。東日本大震災の伝承活動に携わる山田葉子さん(50)=石巻市=は7年前、なりわいを失った一人の被災者だった。逃れた避難所で得た経験と縁が、支援者、震災伝承者としての使命を目覚めさせた。
 山田さんは、被災者ケアを続ける看護系の一般社団法人キャンナス東北(石巻市)でコーディネーター長を務める。語り部としても活躍し、被災地で伝承活動に取り組む個人・団体をつなぐ連携組織「3.11メモリアルネットワーク」が昨年11月に発足すると、副代表に選ばれた。

 震災前は家族ですし店を営んでいた。石巻市渡波の自宅兼店舗は津波が2階まで襲い、全壊。山田さんは家族を連れて渡波小体育館に避難した。津波が押し寄せたものの屋内にはほとんど濁流が入らず、難を逃れた。
 体育館はそのまま避難所になった。山田さんの兄は透析患者だった。避難所にいた看護師に相談すると、「もっと透析が必要な人がいるはずだから探して」と頼まれた。
 当時、体育館と校舎には約2000人の避難者がいた。気が遠くなる作業だったが「幸いペンと紙はある」と覚悟を決めて校内を歩き回り、名前と年齢、避難場所を聞き取った。
 看護師にメモを渡すと、今度は救護スペースに来る被災者の対応を任された。医療チーム到着後は支援物資の受け入れなど避難所本部の仕事を託された。
 震災前は自治会など地域活動に積極的だったわけではない。だが、渡波で生まれ育ち、すしの配達などで顔見知りは多い。「動ける人が動けばいい」。結局、避難所が閉鎖される2011年10月まで、被災者支援に奔走した。

 避難所の出会いが縁で11年12月からキャンナス東北に勤務。最初の研修の際、法人代表から「あなたの経験はちゃんと伝えなくてはいけない」と言われた。
 「避難所運営を経験したからこそ見えたことがいっぱいある。それは伝えたい」。避難所では県外から派遣された応援職員を被災地に案内した経験もある。13年3月、語り部の依頼を受け始めた。
 県外に出向くなどして主に被災体験や避難所運営の在り方を語る。苦労したトイレの対応についても問題意識を持ち、備蓄の必要性を説く。
 活動を通じ、震災伝承に関わる仲間ともつながった。16年度は震災伝承の在り方を考える石巻市の検討会議メンバーとして議論に加わった。
 「最初に避難した体育館から活動の幅がどんどん広がった」と山田さん。「避難後の守られた命をどうするか。避難所運営や外部支援の在り方を含め、被災体験だけではない震災の話を伝えていきたい」と自らの役割を自覚する。(石巻総局・鈴木拓也)

●私の復興度・・・70%

 2015年3月に仮設住宅から災害公営住宅に移り、住宅再建は果たした。ただ、キャンナス東北は支援団体なのでいつかは役割を終えて解散する。先のことを考えると不透明な部分がある。支援者として関わる機会が多く、自分自身の被災と向き合えていない面もある。精神的にも波があるので、30%はまだ復興していない。


2018年04月11日水曜日


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