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<私の復興>地域に愛される店に

笑顔で接客する高橋さん=東松島市野蒜ケ丘

◎震災7年1カ月〜東松島市・「やきとりかっちゃん」経営高橋かつ子さん(67)

 次々と来店する客を、ボリュームたっぷりの料理でもてなす。念願の本格再建から8カ月。「お客さんは家族。つらい時はいつでも来て、おなかいっぱい食べて元気になってほしい」
 東松島市のJR野蒜駅前で、食堂兼居酒屋「やきとりかっちゃん」の高橋かつ子さん(67)は願う。

 海沿いの東名地区で30年以上営んでいた店は東日本大震災の津波で全壊。石巻市大川小に通っていた孫2人が犠牲になった。悲しみを抱えながら仮設店舗で営業を続け、再建に向けて奔走した。「店に一番支えられてきたのは自分。お客さんたちには感謝しかない」
 震災発生時は整形外科の手術のため、仙台市内の病院に入院していた。テレビに映る沿岸部の惨状に「ドラマでも見ているんじゃないか」と目を疑うばかりだった。携帯電話がつながった数日後。石巻市の長女から孫が犠牲になったと告げられた。
 すぐ駆け付けたかったが、術後で歩くこともままならない。「娘が人生で一番苦しい時にそばにいてやれない。行ってらっしゃい、と送り出した子どもが次の日いない。親としてこんなにつらいことはない」。入院中の支えにと病室に飾っていた孫の写真を、ただ拝むしかなかった。
 20代で離婚し、店を切り盛りしながら2人の子どもを育て上げた。多くの困難を経験したが、これ以上の苦しみはない。
 とにかく生きなければならない−。退院後の2011年10月、東松島市内の「ひびき工業団地」に市が設けた仮設店舗で商売を再開させた。お客さんと接し、「がんばっぺ」と声を掛けることで自分も精神的に救われた。わずかでも助けになればと、長女にも時々店を手伝ってもらった。

 昨年7月末、ようやく高台に造成された住宅団地に店を再建した。震災の翌年、長女は男の子を授かり、間もなく6歳になる。
 「若い子もお年寄りも新しく越してきた人も気軽に立ち寄れる店にしたい。ただいま、と入って来られるような」。災害公営住宅の住民もよく来店する。新たなコミュニティーのつなぎ役になり、再び地域の人々に親しんでもらえる店にしたいと思う。
 大切にしている遺品がある。「ばあちゃんへ いつもおいしいものありがとう」。被災した自宅から偶然見つかった孫からの手紙。週末や夏休み、孫たちはよく泊まりに来た。イベントに出店した時はごみ捨てなどを手伝ってくれた。あどけない字を見ると、今も涙がこぼれる。
 仮設店舗をオープンさせた際のチラシを店内に張り、気持ちのバネにしている。長女には買い出しを頼み、自分が培った経験を伝えている。観光客にも立ち寄ってもらえる仕掛けを考えたい。「商売が好きだから」。店と共に、歩みを続ける。(報道部・菊池春子)

●私の復興度・・・70%

 店を再建させ、まずはようやくわが家に戻ったという気持ちだ。復興しているかどうかは、心の持ちようも大きい。「自分で立ち上がらなければ」という気持ちを込めて70%としたい。まだまだ生活再建できていない人や、それぞれが抱えるつらさを思うと、100%にはならない。


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2018年04月12日木曜日


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