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<大川小・争点を語る>(上)危険の予見 ハザードマップ頼み/多忙化で防災後回し

牛山素行(うしやま・もとゆき)長野県生まれ。信州大農学部卒。京大防災研究所助手、東北大大学院工学研究科付属災害制御研究センター講師、岩手県立大総合政策学部准教授を経て2009年から現職。専門は災害情報学。49歳。
制野俊弘(せいの・としひろ)東松島市生まれ。宮城教育大大学院修了。東松島市鳴瀬二中在職時に被災。同市鳴瀬未来中教諭を経て2016年から現職。専門は教育学。著書に「命と向き合う教室」(ポプラ社)。52歳。

 東日本大震災の津波で児童74人と教職員10人が犠牲となった宮城県石巻市大川小を巡る損害賠償請求訴訟の控訴審判決が26日、仙台高裁で言い渡される。控訴審は学校の事前防災が主要テーマとなり、津波の危険認知や組織的な対応の是非について遺族と市・宮城県の主張は真っ向から対立した。判決を前に、争点に関する有識者の意見を聞いた。(報道部・横山勲)
 大川小は北上川河口から約3.7キロ上流にあった。海抜約1メートル。河川堤防(高さ約5メートル)まで西に約200メートル。震災前、周辺の最大予想津波は5.1メートルで、校舎はハザードマップの津波浸水予想区域から外れ、避難所に指定されていた。

◎静岡大防災総合センター 牛山素行教授

 静岡大防災総合センターの牛山素行教授(災害情報学)は「震災クラスの津波襲来は誰も予測できなかった」とした上で「津波防災の専門的知見に照らせば、学校周辺は肌感覚でも『嫌だな』と感じる地形だ」と指摘する。
 北上川は河口が幅約1.5キロと広く、勾配の緩やかさ(高低差の小ささ)が特徴。「周辺を海岸から延びる事実上の細い湾と見た場合、大川小は湾の一番奥に位置する。陸域が限られているため、津波の水量が多いと波の勢いが衰えず、水位上昇が起きやすい」と説明する。
 大川小の危機管理マニュアルは2007年度の改訂時に「津波」の文言を盛り込んだが、2次避難場所は「近隣の空き地・公園等」と記すにとどめた。過去に周辺が津波浸水した記録はなく、浸水予想区域は学校の手前約800メートルにとどまる。津波の河川遡上(そじょう)は堤防でカバーできると考えられたためだ。
 「地震の規模や範囲の予測は困難で、不確実性が高い。浸水予想は防災計画を作る目安にすぎないのが常識だが実務上、ハザードマップの想定に依存せざるを得ない状況は理解できる」という。
 マニュアルの内容は「堤防の決壊を警戒して校舎2階や屋上へ避難する検討はできたと思うが、遺族が主張する校舎近くの裏山や堤防付近の三角地帯(標高約7メートル)を経由した林道への避難を、震災前の知見で現実的に考えられたかは疑問だ」との見解を示す。

◎和光大現代人間学部 制野俊弘准教授

 元東松島市鳴瀬未来中教諭で和光大現代人間学部の制野俊弘准教授(教育学)は、学校を巡る全般状況を背景要因に挙げる。「学校周辺の地理状況の分析は校長ら管理職が責任を持ってすべき仕事で、不備があれば市教委にも責任の一端がある」と強調する。
 津波に対する当時の危険認識は「浸水予想区域から外れている以上、事前想定は避難行動より避難所対応を優先した可能性がある。避難所に指定されていれば、教員は社会的責任を考えて学校を離れられないという感覚が働く」と指摘。
 「学校現場は年々多忙化しており、防災は後回しにされていたのが当時の実情だ。全国の多くの学校が同じ問題を抱えている。なぜ教員は地震から約50分間も校庭にとどまったのか。背景に踏み込む司法判断を期待したい」と語る。


関連ページ: 宮城 社会 大川小

2018年04月20日金曜日


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