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<奥羽の義 戊辰150年>(3)守護職の栄誉・悲哀を今に

京都守護職の上屋敷があった京都府庁旧本館の容保桜。周りで桜の花びらが雪のように舞い散る=3月27日、京都市上京区
手入れした自宅の桜の木をいとおしそうに眺める佐野さん=3月30日、京都市右京区
京都府庁旧本館から見た容保桜=3月、京都市

◎第1部 開戦への道/容保桜

 京都市上京区にある京都府庁旧本館(国重要文化財)の中庭に、1本の桜の木がある。「容保(かたもり)桜」。会津藩9代藩主で、幕末に京都守護職として赴いた松平容保にちなんで命名された。旧本館は、かつて京都守護職の上屋敷があった場所だ。
 中庭には枝ぶりのよい桜が計6種、7本あり、花見の穴場として地元住民に知られる。1904(明治37)年に完成した旧本館の欧風の建物も相まって、優美な雰囲気を醸し出す。
 容保桜はヤマザクラとオオシマザクラの特徴を併せ持つ変種とみられ、一般的なヤマザクラより花弁が一回り大きい。樹齢は推定70〜100年で、自然に生えた野性の桜らしい。
 異彩を放つこの木に着目したのが、「桜守」として知られる著名な造園家佐野藤右衛門さん(90)=京都市=。調査したところ、珍しい桜だと分かった。佐野さんは2010年、府の依頼を受けて、立地の歴史的な背景を取り入れて名付けた。松平家現当主の了承も得ている。
 佐野さんは「落ち着いた品のある咲き方で、不思議と人を引き付ける。武家を思わせるたくましさも残す」と評する。「京都の今昔を知るこの地に根付いたのも何かの縁。大切に守り育てたい」
 松平容保は京都守護職にあった5年余で、幕末の国政の中心に躍り出る一方、その後の明治維新では「賊軍」とされ、栄誉と悲哀の双方を味わった。短く咲き、散る桜は、容保の姿を体現するかのようだ。
 いわれを記した看板を見た京都市の女子大生(20)は「会津藩が守護職として京都の治安を守っていたことを初めて知った」と感心した様子。故郷を遠く離れた地で職責を遂げようと粉骨砕身した藩士の姿を、容保桜は今に伝える。
(文・酒井原雄平/写真・鹿野智裕)

[松平容保]1836年、美濃高須藩主松平義建(よしたつ)の六男として誕生。会津藩主松平容敬(かたたか)の養子に迎えられ、9代藩主となる。62〜68年に京都守護職。幕末の尾張藩主徳川慶勝(よしかつ)は実兄、京都所司代の桑名藩主松平定敬(さだあき)は実弟。戊辰戦争では鳥羽・伏見の戦いに敗れて江戸へ戻った後、藩主を養子の喜徳(のぶのり)に譲り、ともに会津へ帰国。鶴ケ城での1カ月に及ぶ籠城戦の末、降伏した。72年に謹慎を解かれ、80年に日光東照宮宮司。93年死去。


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2018年04月22日日曜日


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