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<仙台いやすこ歩き>(78)しおがま/口溶けほろりシソ香る

 春の日差しにラララ〜と鼻歌気分のいやすこ2人、やって来たのは塩釜市。JR仙石線本塩釜駅から塩釜神社方向へ歩きだす。桜が咲き、日本情緒豊かな門前町の一角に、今回目指す丹六園(たんろくえん)がある。銘菓「志ほか満(しおがま)」を製造販売している店だ。
 ガラガラと戸を開けると、丹野貴美子さん(71)が穏やかな笑顔で迎えてくれた。高い天井、よく磨かれた床、歴史を刻む建物の中でお話を伺う。
 和菓子の一つ、落雁の「しおがま」。「仙台藩主の塩釜神社参拝の折もお茶請けに出されていたそうで、4代藩主綱村公が召し上がったという記録も残っているんですよ」。そのしおがまを作っていた菓子舗の一つが仙台藩御用菓子司の古梅園で、丹六園はその分家に当たる。
 丹六園の創業は1720年ごろ、当時は海産物商だったという。時代を経て戦後は茶舗として商いを営む中、10代目丹野六右衛門が、先祖が作っていたしおがまを再現しようと苦心し、ついに1950年に完成。「志ほか満」の名で売り出し、塩釜を代表する和菓子になった。
 東日本大震災では大事な木型が被害を免れ、製造を再開できたが昨年6月、丹野さんの夫の11代目六右衛門さんが急逝、伝統の味が一時途絶えることに。「お客さまからの惜しむ声と、それに応えたいと思う従業員と家族の心が一つになって、復活できました」。11代目が記録していた映像やレシピ、そして長年片腕となって働いていた職人さんあっての復活だった。
 話を聞く間もお客さんが次々来店。完売間近の様子に、いやすこはハラハラ落ち着かない。そんな2人に「大丈夫ですよ」とほほ笑みながら、丹野さんが持って来てくださる。箱のふたを取り、白い紙を開けば、桜の型がくっきりと打ち出された志ほか満。芸術作品のような美しさに「神々しいねぇ」とため息。
 「この桜は国の天然記念物になっている塩釜桜です。平安時代、『塩釜』は、きれいなものの代名詞だったそうですよ」 

 志ほか満は塩釜神社の祭神・塩土老翁神(しおつちおじのかみ)が伝えた藻塩を表した菓子とのこと。宮城県産みやこがねの餅米粉と塩釜産の塩(藻塩)を合わせ、砂糖と水あめで甘みを加えた真っ白な地に点々と青シソが入り、製塩に使う海草を模しているのが分かる。
 このシソがふわりと香る。「原種に近い種から作っています。収穫時はあまり香らないのに、干すとぐんと香りが立つんです」。シソは宮城県利府町の農家さんに栽培してもらうそうだが、収穫と天日干しは全て家族と従業員が行っている。

 工場での作業を見せていただいた。本当に一から十まで手作りで、勘所を大切にしているのが伝わってくる。「みんなが手を貸してくださるから、伝統の味を作れるんです」と話す丹野さんも、丁寧に箱詰めしている。工場は明るく和やか、活気に満ちていた。
 桜を前に、志ほか満をいただく。口の中でサクッとほどけ、ほろほろと溶けていく。舌にシソの香がほんのりと増していき、お茶と好相性。目にも口にもシンプル・イズ・ビューティフルを実感。日本の美しい春を満喫するいやすこだった。

◎塩釜発祥の「押し物」全国に

 和菓子は製法により生菓子、干菓子、半生菓子に大別される。干菓子は茶の湯とともに発展し、「しおがま」は干菓子の中の「押し物」に位置付けられている。しおがまと呼ばれる干菓子は全国各地にあるが、発祥の地とされるのが塩釜市。現在も塩釜・仙台周辺で数社が製造している。
 和菓子の資料にも「みじん粉・砂糖・塩・海草粉末などを型に押し詰めて成形した菓子。(中略)塩釜市の菓子」と記されている(出典/中尾隆之著「全国和菓子風土記」昭文社)。ちなみに、二本松市の老舗のしおがまは、仙台藩のしおがまに勝るものを作れという殿様の命令で開発されたと伝わる。
 塩釜桜は、古くから京や江戸でも桜の名木として知られていた。塩釜神社境内の塩釜桜は先代(1940年国の天然記念物指定)が枯損した後、人々の地道な努力でひこばえから苗木の育成に成功、87年に再度、国の天然記念物に指定された。遅咲きの八重桜で、例年の見頃は4月下旬〜5月上旬。


2018年04月23日月曜日


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