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<大川小・母たちの7年>真実求める心、癒えず

震災当日、みずほさんが着ていたブラウスを手にする佐藤さん=10日、石巻市福地

 児童74人と教職員10人が津波の犠牲になった石巻市大川小を巡る控訴審判決が26日、仙台高裁で言い渡される。東日本大震災から7年、幼いままのわが子の写真を見つめ、葛藤を抱きながら数々の「なぜ」を追い続けてきた母親たち。判決に寄せる思いは高まる。(大川小事故取材班)

◎(上)佐藤かつらさん 

<膨らむ疑問>
 「服を買いに行きたい」
 石巻市福地の佐藤かつらさん(52)は2011年3月上旬、大川小6年だった次女みずほさん=当時(12)=に初めてせがまれた。
 普段は二つ年上の長女のお下がりが大好きな子だった。春休みに友人たちと東京ディズニーランドに行く予定がある。「夢の国」に着ていく服は特別だ。
 あの日、みずほさんの小さな願いは、命もろとも奪われた。2日後、校舎西側の山沿いで遺体で見つかった。将来の夢は通訳。4月から中学校で習う英語の授業を楽しみにしていた。
 同市河南西中の美術教諭だった佐藤さんは、4月の入学式で新入生を迎えた。みずほさんと同じ学年だ。
 「僕たちと同じ新中学生になるはずだった人たちの分まで頑張る」。新入生代表のあいさつに、立ったまま涙が止まらなかった。
 なぜ大川小だけ大勢の子どもたちの命が失われたのか−。「経験のない揺れだった。教員なら大げさなくらい最悪の事態を考えて避難するはずではないか」。疑問は膨らむ一方だった。

<教員を退職>
 6月4日、2回目の遺族説明会に出席した。市教委側は顔見知りの教員ばかり。誠心誠意、説明を尽くしてくれるとの期待は裏切られ、説明会も質疑途中で一方的に打ち切られた。
 「先生たちは組織を守ろうとする態度だった。信じられない光景がショックで、言葉を失った」。会場を去る教員らをぼうぜんと見送るしかなかった。
 中学校への行き帰りの車中で、校舎の廊下で、涙が突然あふれた。「こんな状態では授業にならない」。1学期末の退職を考えたが、同僚らに支えられ年度末まで勤めた。
 合唱コンクールや部活動に懸命な教え子らの姿に感動を覚えつつ、「みずほは、こういう素晴らしい中学校生活を味わうことができなかった」と、悔しさと悲しみが募った。

<提言に幻滅>
 13年2月に発足した第三者検証委員会にも幻滅した。生存児童らから聞き取る努力が足りないと感じ、最終報告書に盛り込まれた24の提言は「大川小を踏まえていない」と映った。
 元中学教諭で夫の敏郎さん(54)や他の遺族と共に独自に検証を進め、必死に真実を求めてきた心がまた折れた。
 「裁判しかないのでは…」。頭をよぎったが、敏郎さんは当初から裁判は念頭になかった。「お父さんの判断でいいよ」と伝えた。
 震災から7年。「気持ちはあまり前に進めてないのかな」。児童らに聞き取った証言メモを廃棄したり、説明を二転三転させたりした市教委や、踏み込み不足の検証委に「つぶされた心」は今なお癒えない。
 仙台地裁や高裁にも何度か傍聴に通った。原告遺族と「ずっと同じ気持ち」でいる。「後世の教訓となる判決が出る」。そう心から信じている。


関連ページ: 宮城 社会 大川小

2018年04月24日火曜日


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