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<大川小・母たちの7年>安全な学校、子に誓う

たくさんの写真が飾られた仏間で手を合わせる狩野さん。達也君と美咲さんが家族の会話に出ない日はない=17日、石巻市針岡

 児童74人と教職員10人が津波の犠牲になった石巻市大川小を巡る控訴審判決が26日、仙台高裁で言い渡される。東日本大震災から7年、幼いままのわが子の写真を見つめ、葛藤を抱きながら数々の「なぜ」を追い続けてきた母親たち。判決に寄せる思いは高まる。(大川小事故取材班)

◎(中)狩野正子さん

<消えぬ後悔>
 石巻市針岡の狩野正子さん(45)には、忘れられない会話がある。
 「また大きな地震が来る。学校にいたら危ないから、行きたくない」
 2011年3月10日の朝、自宅の台所で、起きてきた大川小5年の長男達也君=当時(11)=が訴えた。
 前日午前、地震に遭った。石巻市は震度4で、50センチの津波を観測。学校にいた達也君と2年の長女美咲さん=同(8)=ら全校児童が一時、校庭に避難した。
 達也君は地震が嫌いだった。地震や津波について調べ、自作の壁新聞にまとめたこともあった。怖がる息子に、狩野さんは優しく諭した。「学校にいれば先生がついてるし、守ってもらえるから大丈夫だよ」
 翌11日、東日本大震災が起きた。達也君は3月22日、美咲さんは4月2日に、それぞれ亡きがらとなって見つかった。「結局、達也の言った通りだった。学校は安全じゃなかったんだと思うと、2人に本当に申し訳なくて…」。いつもの朝の、何げないはずの会話。後悔とともに思い返す。

<証言聞けず>
 あの日まで信じて疑わなかった学校で、なぜ子どもたちは亡くなったのか。石巻市教育委員会の説明会も第三者検証委員会も、「避難が遅くなって亡くなった」としか言わない。むしろ、危機管理マニュアルの不備などを知るほど、「なぜ」が深まった。
 14年3月、夫達弘さん(45)と裁判に参加した。当時の校長らの証人尋問は、不十分な対策の責任逃れにしか聞こえなかった。在校の教職員で唯一助かり、達也君が慕っていた男性教務主任(57)の証言は聞けなかった。法廷は全てを明らかにしてくれなかった。
 大川小から約4キロ離れた自宅は無事だった。学習机も、服も、おもちゃもあるのに、持ち主の仲良しきょうだいはいない。生きるのがつらかった。
 「もう一度、お父さんとお母さんになりたい」。14年10月に次女ひなたちゃん(3)が生まれた。早産で生後すぐは心配されたが、今では散歩が大好きで元気な女の子に育った。
 ひなたちゃんが達也君と美咲さんの写真を見て言った。「お兄ちゃんとお姉ちゃん、私に会いに出てきてくれない」。狩野さんは胸を詰まらせながら、優しく教えた。「見えないけど、いつもそばにいるよ」

<新たな目的>
 真実を知りたい。自分たちと同じ思いを誰にもしてほしくない。裁判の目的が、もう一つ加わった。ひなたちゃんが大きくなる頃、学校は安全な場所であってほしい−。
 26日の控訴審判決。天国の達也君と美咲さんに、報告したい。「達也が言う通り、学校は危なかったね。でも今度は、安心して行けるような学校になるんだよ」。誇らしげな達也君の顔が浮かぶ。「ほらね言ったでしょ、お母さん!」


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2018年04月25日水曜日


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