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<大川小津波訴訟>「しょうがねえ、で済ませたくない」原告遺族、真実を追い続けた7年

原告の思いが詰まった垂れ幕を掲げる佐藤美広さん=26日午後2時40分ごろ、仙台市青葉区の仙台高裁前

 一人息子の「ただいま」の声が聞けないまま、7年余りの月日がたった。
 大川小津波訴訟の控訴審判決言い渡しから約15分後、原告副団長の佐藤美広(みつひろ)さん(57)が仙台高裁前で原告仲間と一礼し、判決内容を示す垂れ幕を掲げた。
 「子供たちの声が高裁にも届いた」
 上着のポケットに小さな軟球を入れていた。大川小3年だった健太君=当時(9)=の形見。震災前まで、この球で親子でキャッチボールを楽しんでいた。
 健太君は2年の秋、スポーツ少年団「大川マリンズ」で野球を始めた。下級生ながら公式戦に出場し、ヒットを1本打った。「どこの高校が強いの? プロ野球選手になっかな」。大きな夢を描いていた。
 生きる希望を失った佐藤さんと妻とも子さん(54)は、何度も命を絶とうと考えた。ただ、息子が巻き込まれたのは、戦後最悪とされる学校管理下で起きた事故。「しょうがねえ、で済ませたくない」との思いで踏みとどまった。
 2017年夏、夫婦で健太君の遺影と共に兵庫県西宮市の甲子園球場を訪れた。バックネット裏近くで全国高校野球選手権大会の開会式を見守った。
 力強く行進する球児たちに、白球を追っていたわが子の姿を重ね合わせた。生きていれば高校1年。「夢を追える。それだけでいい」。2人の目に涙があふれた。
 26日の高裁判決後、原告が掲げた3枚の垂れ幕の中には「勝訴」の2文字も。目を凝らすと、原告19遺族の児童23人の名前が小さな字でつづられていた。
 佐藤さんは「『行ってきます』と家を出た子どもを、『ただいま』と帰すのが教育の原点ではないか」と強調する。とも子さんは「裁判には勝ったけれど悔しい。助かったはずの命だと思う」と素直に喜べない。
 やりきれない思いは募るが、夫婦で必死に真実を追い続けた7年だった。「健太は心の中にいつもいる」と語る佐藤さん夫婦に今、息子の声がはっきりと聞こえる。
 「おっとう。おっかあ。7年間、俺のことを思って頑張ってくれたな」


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2018年04月27日金曜日


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