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<震災遺構>地域の思い出詰まった母校 古里思う場に 旧荒浜小ガイド高山さん

震災前の荒浜を再現した模型の前で、荒浜小卒業生の女性らと語り合う高山さん(右)

 旧荒浜小でガイドを務める市嘱託職員は、見学者に津波の脅威や震災の教訓を伝える一方、「ここは荒浜の人々にとって母校」と強調する。復興とともに周辺の風景が変わる中、唯一残った震災前の建物の役割とは何か、自らに問う。
 「最後に一つお話ししたい」。大型連休前半の4月29日、市嘱託職員の高山智行さん(35)が約1時間のガイドの締めくくりに、見学者にこう切り出した。
 「ここは津波の脅威を伝える遺構として保存されたが、悲しみだけを伝える場所ではない。校舎のあちこちに卒業生や住民の楽しい思い出が詰まっている」
 旧荒浜小は教室や廊下に津波の爪痕が生々しく残るが、掲示物や黒板の行事予定は「あの日」のままになっている。
 卒業生は7000人を超える。多くの元住民にとって母校であり、地域のシンボル。「震災前、ここに暮らしがあったことを伝えたかった」と話す。
 高山さんは荒浜出身の友人と結成したグループ「HOPE FOR project」の代表も務める。旧荒浜小を会場に2012年から毎年3月11日、元住民たちが1000個の風船を飛ばし、犠牲者の冥福を祈るイベントを主催する。
 「(心情的に)荒浜につながる交差点を渡れない元住民も少なくない」と高山さん。「母校があれば、いつか古里を訪れることがあるかもしれない。そういう場所でありたい」と願う。
 近くの防災集団移転跡地で観光果樹園、スポーツパーク、体験学習施設などの整備計画がある。約6メートルかさ上げされた復興道路も本年度末までに完成する。
 変わりゆく荒浜の風景に高山さんは「震災遺構はそのまま存在すればいいのか」と自問する。犠牲者を悼み、教訓をかみしめる場の役割を理解しつつ、展示内容を入れ替えるなど変化する遺構の姿も模索する。
 「荒浜のことが気にならなくなれば訪れる人も減り、風化に拍車が掛かってしまう。新たな発見があれば元住民が古里を訪れるきっかけにもなる。運営に工夫の余地はある」と語る。


2018年05月05日土曜日


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