宮城のニュース

<まちかどエッセー・鈴木弘二>田園調布の夢

[すずき・こうじさん]建築家。61年仙台市生まれ。日大理工学部建築科卒、同大大学院修了。現在、鈴木弘人設計事務所代表取締役社長。日本建築家協会本部理事・副会長、東北支部長。東北大、仙台高専、宮城大で非常勤講師を務めた。仙台藩香道と料理、釣り、ゴルフ、旅行が趣味。仙台市青葉区在住。

 友人の建築家が東京の田園調布に設計した住宅のオープンハウスに招かれました。スタイリッシュなたたずまいの木造住宅で、大きな高級住宅が立ち並ぶ、凛(りん)とした雰囲気の街並みと調和しながら自己の存在をアピールする見事な作品でした。
 この田園調布、今では高級住宅地の代名詞として誰もが知っていますが、歴史を振り返ると実業家渋沢栄一が1920年ごろ、西欧の「田園都市」の考え方を持ち込んで造った、日本初の郊外住宅地の一つでした。
 田園都市は、イギリスの都市計画家E・ハワードらが1900年代初頭に考案しました。産業革命後の都市の巨大化と環境悪化に苦しむロンドンの労働者や市民を憂い、環境の良い郊外に住宅地や商店街、工場、農地などを備えた理想都市を提唱したのです。その思想と手法は田園都市運動として世界を席巻し、日本にも伝わったのでした。
 戦後の高度成長期には、日本的にアレンジされた開発となり、都市近郊の田畑、山や丘陵地を崩し、電車や道路を通した郊外型のニュータウンや団地となって爆発的に広がり、人口膨張を吸収していきました。
 仙台市では八木山、中山、旭ケ丘などの団地がそれに当たり、市民が中心部から郊外に競って移り住みました。私の家も同様に45年前に市内から北部の団地に移り、なんの疑問もなく近代人が選択した生活スタイルを送ることになりました。
 そこでは確かに若い家族が憧れの一戸建てマイホームとマイカーを取得し、大勢の子どもであふれ、商店もにぎわっていました。
 しかし、今ではその姿が一変し、高齢化と少子化、人口減少が進み、後継者の不在、町内会の衰退、さらに住宅や店舗が老朽化、大型店舗も台頭し、空き店舗や空き家、空き地が出現。なんとも寂しく活気のない住宅街がそちらこちらに現れてきています。
 私たちが理想とし夢を描いて生活していた郊外住宅地を、今後どのように再生(リノベーション)していくか、大きな課題であるとともに、真剣に取り組む時期が到来していると考えます。(建築家)


2018年05月07日月曜日


先頭に戻る