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<私の復興>人々の輪、故郷の力に

南三陸町で昨年秋にあった「FINDER」主催の会合で、町の魅力を説明する三浦さん

◎震災7年2カ月〜宮城県南三陸町出身・東北芸工大1年 三浦千裕さん(18)

 「南三陸には何もない。ずっと都会に出たいと思っていた。でも今は違う。将来は地元に戻り、地域づくりに関わりたい」
 宮城県南三陸町出身の三浦千裕さん(18)は今春、志津川高を卒業し、東北芸術工科大(山形市)に進学した。約150キロ離れた内陸の地でコミュニティーデザインを学びながら、故郷の復興に思いをはせる。
 東日本大震災に遭遇したのは小学5年生の時。高校卒業までの7年余は、がれきの山と化した古里が少しずつ復旧し、復興に向かって歩み続けた激動の時代と共にあった。
 震災があった日、海岸に近い戸倉小に通っていた三浦さんは、近くの高台に同級生らと逃げた。「高台の上にある神社まで逃げろ」と教師から指示を受け、必死に駆け上った。一度避難した高台は、一気に押し寄せた波間に消えた。
 兄2人と両親の5人暮らし。寒さと恐怖に震えて夜を過ごしながら家族の無事を祈った。翌日に兄たちと、4日後にようやく両親と再会を果たした。
 「町が無くなってしまった。もう学校に行けないかもしれない」。そんな子どもたちの不安を払拭(ふっしょく)するため、学校の再開などに汗を流す大人の姿を目の当たりにした。夫や妻、子どもを失った人もたくさんいたが、みんな懸命だった。
 「何か自分にもできることをしたい」
 中学に進んだ三浦さんは地域活動を支援するジュニアリーダーに参加。年下の子どもたちと南三陸町と気仙沼市にまたがる田束山(たつがねさん)への登山や海釣りなどを通じ、地域の面白さを改めて知った。高校2年生の時にジュニアリーダーの会長になり、町内外の大人と共に復興を考えるようになった。
 大学に進学し、コミュニティーデザインを学ぼうと思ったきっかけは昨年6月、志津川高に誕生した学習支援センター「志翔学舎」での活動だった。
 学舎の友人らと町の魅力を再発見し、町外に発信する団体「FINDER」を設立。今年3月には学舎を運営するNPO法人キッズドア(東京)のメンバーと福島県新地町の新地高に赴き、自身の被災体験を伝えるなどし、他地域の同世代と思いを共有してきた。
 震災を機に生まれた多くの人とのつながりが三浦さんの大きな財産だ。「イベントを企画するだけでなく、地域住民がより主体的に関われる仕組みをつくりたい」と夢を抱く。
 目指す未来図は「子どもから大人までがいろいろなことに取り組み、日本一チャレンジに寛容な町」。「目に見えるものは壊れてしまったが、震災で強くなった『見えない人の絆』を紡ぎたい」と願う。(報道部・菅谷仁)

●私の復興度・・・6〜7割

 防潮堤や南三陸さんさん商店街などハード面の整備は進んだ。ただ被災から復興に向け、住民一人一人の「心の引っ越し」が進んでいないので60〜70%。集団移転などで近所が遠くなり、物理的な距離が広がる今だからこそ、住民の心の距離を縮める必要がある。


2018年05月11日金曜日


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