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<阿武隈川物語>(1)恵みと畏れ続く営み

災害と人間の営みを映してきた阿武隈川河口=2018年3月11日、宮城県亘理町荒浜
個人蔵「仙台領水沢ヨリ荒濱(はま)迄(まで)〓(ひらた)通路川絵図」の部分(福島市教委提供)。幕府の蔵などが建ち並び、荒浜の繁栄を物語る (〓はへんが舟つくりが帯)

◎プロローグ

 那須甲子連峰に源を発し、福島県中通りを縦断して宮城県南で太平洋に注ぐ東北第2の大河、阿武隈川(全長239キロ)。2011年3月の東日本大震災の津波被害を受けた河口の宮城県亘理町荒浜は、江戸時代に阿武隈川の舟運と海運が結節する港町として発展した。にぎわいを物語る絵図が福島市史編纂(へんさん)室にある。

<年貢米を荒浜に>
 福島市や伊達市などの福島県信達地方は幕府の直轄地だった。年貢米である「御城米」が、舟運で荒浜に運ばれた。荒浜に幕府の蔵が13棟あったとされ、絵図に「御城米蔵」の記載がある。江戸に廻米(かいまい)した仙台藩や米沢藩の蔵も見える。
 絵図は、福島市内の蔵に残されていた個人の所蔵品だ。震災で蔵が傷んだことなどから、編纂室に預けられた。16年には編纂室で展示公開された。
 編纂室嘱託職員で、福島県文化財保護審議会委員の守谷早苗さん(66)は「信達の名主層は、御城米の積み荷が引き継がれたか確認する『出役(しゅつやく)』のため、荒浜に赴いている。荒浜の様子が分かる資料は福島にとっても貴重だ」と意義を語る。

<高台に米蔵建設>
 守谷さんは「舟運に関する荒浜の遺構が津波で失われたことは残念。さまざまな形で歴史を伝えていくためにも、絵図を大事に継承したい」と誓う。
 御城米蔵があった場所は現在の荒浜小の敷地だ。一帯は全壊した区域だが学校は周囲より約1.5メートル高台にあり、校舎1階が浸水したにとどまった。亘理町郷土資料館学芸員の菅野達雄さん(48)は「御城米蔵が水没しないよう高台を選んだのだろう。先人の知恵には驚くものがある」と話す。
 荒浜は今、力強く復興の歩みを進める。繰り返す災害に立ち向かう人間の営みがある。
 震災と東京電力福島第1原発事故は、近代に根本的な問いを突き付けた。自然を畏敬し、自然と共存した時代と生活に思い巡らすことで、近代を再考するよすがを探せないか。
 戊辰戦争、明治維新150年を迎えた日本の近代以前から、蝦夷の地は中央の権力にとって征服と開発の対象だった。その最前線だった阿武隈川流域で、歴史を振り返ってみたい。
 何より、川は恵みの母であり、恐るべき父であり、寄り添うパートナーや友のような存在だ。東北の母なる川の一つ、阿武隈川流域を歩く。
(角田支局・会田正宣)


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2018年05月17日木曜日


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