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<阿武隈川物語>(3)貴重な資料継承誓う

津波がさかのぼった阿武隈川河口を眺める安田さん(中央)たち。郷土史伝承の必要性をかみしめる
江戸時代の浦役人を務めた武者家での被災資料の救出作業=2011年6月18日、宮城県亘理町荒浜(亘理町郷土資料館提供)

 阿武隈川の舟運は、幕府直轄地だった信達地方(福島、伊達両市など)の年貢米である「御城(ごじょう)米」輸送で発達した。山形県置賜地方の米も扱い、物流網は広範囲だった。地域の発展に舟運が与えた影響は大きい。ゆかりの深い流域を訪ねた。

◎第1部 舟運/(2)亘理・荒浜(下)

 「阿武隈川通荒浜川口御検分」。宮城県亘理町郷土資料館に常設展示される江戸時代の古文書「勤功書上(きんこうかきあげ)」に、幕府直轄地だった信達地方(福島、伊達両市など)の代官が同町荒浜を視察した記録が残る。確認できる江戸時代中期の1733年以降だけで38回ある。
 信達地方の年貢米「御城米」は阿武隈川舟運で荒浜に運ばれた。荒浜で海運に積み替え、松島湾の寒風沢に送られてから、東廻(まわ)り航路で江戸に送られた。御城米の保管や積み替え作業を担う「浦役人」を荒浜で務めた武者家に伝わるのが勤功書上だ。

<200点 津波免れる>
 河村瑞賢なども滞在した武者家には多くの文物があったが、2011年3月の東日本大震災の津波で古文書や道具類が失われた。2階の書画など残ったのは約200点。勤功書上は資料館にあって被災を免れた貴重な資料の一つだ。
 資料館は震災後、明治の荒浜の地主、江戸清吉のコレクションなど荒浜関連の企画展を精力的に開き、民具の収集に力を入れる。資料館学芸員菅野達雄さん(48)は「震災で大半の資料が失われたのは残念だが、かけがえのない財産を次代に引き継ぐ」と強調する。
 震災3カ月後、NPO法人「宮城歴史資料保全ネットワーク」(仙台市)が古文書などの救出作業を実施。救出資料などを基に被災地の歴史を伝える「よみがえるふるさとの歴史」(蕃山房)を14年に刊行した。
 第1号が「荒浜湊(みなと)のにぎわい」だ。著者のさいたま市博物館学芸員井上拓巳さん(38)は武者家と交流があり、ネットワークの活動にも参加した。
 「荒浜には瀬戸内海の塩や蝦夷地のサケなど多様な物資が集まり、東廻り航路でもトップクラスの拠点港だった」と解説する井上さん。「震災前と一変した荒浜の光景に衝撃を受けた。資料の内容を後世に伝える意義を感じており、荒浜の歴史の掘り起こしを続けたい」と思いを寄せる。

<地元愛好家も汗>
 地元の郷土史愛好家も活動を続ける。結成約60年、会員約700人を誇る亘理郷土史研究会の副会長、安田侃(あきら)さん(71)の父は、現在の国道6号が走る亘理町逢隈中泉−岩沼市藤浪間の阿武隈川で、橋が架かる1932年まで渡し船を営んでいた。今泉の渡し、岩沼側で藤場の渡しと呼ばれた渡し場だ。
 家の文書を基に舟運史などを会報に発表してきた安田さんは力を込める。「郷土史は地域の過去を未来につなぐ作業。震災や水害の教訓、阿武隈川との関わりを子孫に伝えたい」

[東廻り航路]幕府の命を受けた江戸の豪商河村瑞賢(1618〜99年)が1671年に確立。従来は銚子(千葉県)から利根川を経由したが、三崎(神奈川県)か下田(静岡県)を経て江戸に直接乗り入れるようにした。寄港地を定め、航行の安全を確保するなどした。


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2018年05月19日土曜日


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