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<阿武隈川物語>(6)丸森の宝 観光資源に

岸辺の眺めが美しい阿武隈ライン舟下り。舟運の歴史を生かした観光名物として親しまれている
運航開始当時の阿武隈ライン舟下り(宮城県丸森町教委提供)

 阿武隈川の舟運は、幕府直轄地だった信達地方(福島、伊達両市など)の年貢米である「御城(ごじょう)米」輸送で発達した。山形県置賜地方の米も扱い、物流網は広範囲だった。地域の発展に舟運が与えた影響は大きい。ゆかりの深い流域を訪ねた。

◎第1部 舟運/(5完)舟下り

 阿武隈川の岸辺に菜の花が映える。新緑がみずみずしい。山並みが迫る雄大な景色が乗船客を魅了する。
 阿武隈川水系唯一の舟下り、宮城県丸森町の「阿武隈ライン舟下り」は大型連休中、大勢の客でにぎわった。丸森の観光名物は、幕府直轄地だった信達地方(福島、伊達両市など)の年貢米「御城(ごじょう)米」を運んだ阿武隈川舟運に基づく。

<一時は鵜飼いも>
 「舟運があったからこそ丸森の発展があった。運航開始当時の佐藤寅之助町長が『これからは観光の時代。他地域にない歴史を生かし、日本有数の観光地を目指そう』と舟下りを発案した」。元町観光課長の湊剛(かたし)さん(89)=同町在住=が舟下り創設の経緯を教えてくれた。
 舟下りは当初、舟運で使われた約100俵積みの「〓(ひらた)舟」を使用した。舟にエンジンはなく、乗船場まで人力で舟を運んでから川を下った。
 一時は鵜(う)飼いもした。湊さんは岐阜県長良川の鵜飼いを視察。湊さんの家はもともと町営サケふ化場だったところで、いけすがあり、ウを飼ってトレーニングし、湊さん自身が鵜匠を務めたこともあった。
 阿武隈川ではサケ漁が行われ、子どもたちは船着き場で水泳を楽しんだという。湊さんは「川の恵みは生活に欠かせなかった。阿武隈川は宝の川だった」と懐かしむ。

<原発事故で激減>
 にぎわった舟下りも、1989年度の約2万6900人をピークに減少。そして、2011年3月の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の打撃で、11年度は約1900人と、原発事故前の約9800人から激減した。7年たって回復基調が見えるが、17年度も約5600人と、まだ原発事故前の6割弱だ。
 1万人回復を目指す町観光物産振興公社の佐藤勝栄理事長(74)は「『静』の斎理屋敷と『動』の舟下りが、丸森の最大の観光資源。最近は若者客が増えつつあり、食との協働などに取り組み、新しい客層をつかみたい」と意気込む。
 同町耕野地区の阿武隈川沿いに住む、舟下りの前船頭長の谷津昭さん(78)はガイドで必ず、江戸時代の舟運について紹介した。
 福島県からの客も多く、上流を知りたいと思った谷津さんは現役時代、源流の福島県西郷村まで行ったことがある。谷津さんは「上流はきれいな渓谷だった。自分が住む丸森まで流れているんだと思って感動した」と振り返る。
 母なる川、阿武隈川。谷津さんもそんな思いを抱く1人だ。(角田支局・会田正宣)

[阿武隈ライン舟下り]1965年に運航開始。5隻の舟があり、観光交流センター乗船場から往復8キロ、約1時間の周遊コースを運航する。阿武隈急行あぶくま駅から下るあぶくま駅コースは震災後、休止している。

(注)〓は舟へんに帯


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2018年05月23日水曜日


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