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<311次世代塾>第2期 第2回講座「弔いの記録伝えたい」受講生100人、遺体収容や埋葬先視察

遺体安置所となった宮城県総合体育館で西村さん(中央)の話を聞く受講生=宮城県利府町
津波が荒浜小を襲った午後3時55分で止まったままの時計を見つめる受講生ら=仙台市若林区

 東日本大震災の伝承と防災の担い手育成を目的に河北新報社などが開く通年講座「311『伝える/備える』次世代塾」第2期の第2回講座は19日、仙台、東松島両市などを訪れた。多数の遺体と向き合った弔いの現場を視察した大学生ら受講生約100人は「犠牲者の尊厳に心を配って弔いに奔走した人たちの記録を未来に伝えていきたい」と決意を新たにした。
 宮城県利府町では、遺体安置所となった県総合運動公園(グランディ21)の県総合体育館を訪問。仙台市の葬祭業「清月記」の西村恒吉業務部長(45)は、床に多くの棺が並ぶ写真を前に「想像を絶する遺体の数に衝撃を受けた。手厚く弔えない状況に戸惑いと葛藤を感じた」と打ち明けた。
 同社は石巻市で仮埋葬とその後の遺体の掘り起こしも担った。土中で棺と遺体の状態は悪化し、葬送のプロでさえ身が震える光景だったという。西村さんは「職業意識を持って臨んだ。遺体の尊厳を保ち、遺族が納得できる弔いとは何か自問自答した」と証言した。
 宮城県では6市町で2108体が仮埋葬された。東松島市大塩地区の仮埋葬跡地では、市防災課の佐々木寿晴課長(55)が、自衛隊が埋葬に携わった当時の様子を説明。「東松島市では380体が仮埋葬された。痕跡はなくなっても、震災の記憶は伝えていかなければならない」と話した。
 同市野蒜地区の復興祈念公園で慰霊碑と市震災復興伝承館も訪れた。津波の高さと同じ3.7メートルに造られたモニュメントや犠牲者の名前が並ぶ芳名板にそっと手を触れる受講生もいた。
 仙台市若林区の深沼海岸と、市が震災遺構として保存整備した旧荒浜小も視察。4階建ての2階まで浸水し、曲がったベランダなどが津波の威力を伝える校舎を見学した。荒浜の街並みを再現した模型も見学した受講生は震災前の地域の暮らしに思いをはせた。
 津波で被災しながらも、遺体安置所や火葬場を奔走した宮城野区蒲生の専能寺では足利一之(もとゆき)住職(51)が講話した。足利さんは「地区住民の犠牲は75人。7年たった今も2人が行方不明のまま。遺骨が別々の場所で見つかることもある。家族の苦悩と悲しみは続いている」と声を詰まらせた。
 視察後、仙台市宮城野区の東北福祉大仙台駅東口キャンパスで行ったグループ討議では「遺体の尊厳を保つのが難しい中で献身的に弔おうとした人がいたことを伝えたい」「犠牲になった人は皆、かけがえのない命だった。震災の教訓を風化させてはいけない」などと伝承の必要性を訴えた。

◎受講者の声

<仕事の覚悟学ぶ>
 犠牲の現場の講話から、職責を担う覚悟と「まさかは現実に起こりうる」と備えることの大切さを学びました。つらい記憶を話してくれた講師に感謝し、震災を忘れず次の世代に伝えたいと思いました。(仙台市若林区・東北福祉大3年・鈴木亜実さん・20歳)

<現状 自分の目で>
 仙台市若林区の旧荒浜小や東松島市を初めて訪れました。現地の様子は写真とは全然違い、多くの人が犠牲になった被害の大きさを実感しました。被災地の現状を自分の目で見る必要があると思いました。(埼玉県川越市・明治大4年・落合美紅さん・21歳)

<専門家も戸惑う>
 仮埋葬という措置は、葬儀の専門家でも戸惑い、葛藤を抱く大変な状況だったことが分かりました。多くの犠牲者の葬送に携わった住職の話から、災害時に支え合うには日頃の交流が大切だと学びました。(仙台市青葉区・東北工大2年・八重柏紀之さん・20歳)

[メモ]311「伝える/備える」次世代塾を運営する「311次世代塾推進協議会」の構成団体は次の通り。河北新報社、東北福祉大、仙台市、東北大、宮城教育大、東北学院大、東北工業大、宮城学院女子大、尚絅学院大、仙台白百合女子大、学都仙台コンソーシアム、日本損害保険協会、みちのく創生支援機構。事務局は河北新報社防災・教育室=メールjisedai@po.kahoku.co.jp


2018年05月25日金曜日


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