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<復興を生きる>故郷も命も諦めない 

避難先から訪れた男性客の髪を整える花井さん(左)

◎がんと闘い村支える/福島・飯舘で理容室営業 花井茂さん(56)=福島市

 福島県飯舘村の静かな住宅地にある理容室「ヘアーサロン花井」。店長の花井茂さん(56)は2月、思い切って改装した。
 外壁はれんが調。まきストーブを配置し、コーヒーを飲みながら談笑できるようカウンターも設けた。「遠い避難先からの来店客や、帰村した住民の憩いの場にしたい」

 飯舘村は昨年3月末、東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示が一部を除き解除された。理容室の営業再開は昨年8月だった。お客さんは原発事故前の3分の1に届かない。赤字続きで、東電からの賠償金を切り崩している。
 4年前、直腸がんを患った。再発のリスクは消えないが、気持ちは揺るがない。「先は見えないけど、お客さんがいる限り、やれるところまでやる」
 福島市の専門学校を卒業後、宮城県などで修業した。25歳で帰郷し、母(78)の理容室を手伝った。結婚後は妻(56)も加わり、3人の家族経営を続けてきた。
 しかし、原発事故で飯舘村は全域避難に。両親、妻、2人の子どもと福島市に移った。店は閉めた。
 警備会社に勤務し、無人となった村内の住宅の警報器を確認する業務を担当した。センサーが作動した家に向かうと、大抵は動物が侵入者。「俺、何してんだろ」と、むなしくなった。

 救われたのは理容室の常連さんの言葉だ。仕事の合間、連絡を受けると店を開けた。「ありがとう」。感謝の言葉が骨身に染みた。「この道しかない」。目の前がすっと開けた。
 2012年7月、家族の反対を押し切り、飯舘村と福島市の間にある川俣町で理容室を再開。1人で店に立った。
 直腸がんの診断を受けたのは、それから2年ほどたった頃。ステージ3。リンパ節に転移していた。手術と抗がん剤治療で腫瘍はなくなったが、再発の恐怖に襲われた。
 仕事に復帰すると、常連さんが待っていた。髪はぼさぼさ。「俺の頭、他に誰がやってくれるの」と言われ、肩の力が抜けた。
 シャキ、シャキ−。はさみを握っている間は、病気のことも忘れられた。「先のことは考えない。目の前に集中しよう」。必要としてくれる人のため、古里での再開を決意した。
 福島市に購入した自宅から店まで片道1時間。来店客が2、3人の日もある。今でも検診が近づくと、正直、気がめいる。だからこそ、店に向かう。
 常連さんと近況を伝え合う。家族のこと、除染土の仮置き場のこと…。散髪を終えて「すっきりした」と語る男性客を見送る花井さんの顔は晴れやかだ。
 「道はつくるものと考えていたけれど、今は違う。歩いて振り返った時にできているんだと思う」。目の前の一歩一歩を踏みしめる覚悟がにじむ。
(福島総局・高田奈実)


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2018年06月03日日曜日


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