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<全国植樹祭>南相馬の高田さん「復興の今 見てほしい」辛苦努力の7年 あす両陛下出席

今年広げた田んぼに苗を植える高田さん。背後に全国植樹祭会場が見える=2日、福島県南相馬市原町区雫地区

 「平成? 後半は震災のせいで暗かった。原発事故もあって、ここは取り残されていた。人も物も入らず、寂しかったな」
 福島県南相馬市原町区沿岸の雫(しどけ)地区。東日本大震災の津波と東京電力福島第1原発事故の被害を受けた。今年の田植えも終盤。前行政区長の高田俊忠さん(68)はとつとつと語る。
 「でも陛下はここを選んでくれた。平成終盤にこんなご褒美はない。復興の現状を見てほしい」
 全国植樹祭が10日、天皇、皇后両陛下が出席されて雫地区の海岸防災林整備地を会場に開かれる。2019年4月末の退位が決まり、植樹祭出席は今回が最後となる。
 兼業農家の高田さん。11年に車の販売店を退職し、のんびり妻と旅行にでもと思っていた。3月11日は好きな海釣りではなく裏山の薪取りを選んだ。
 ものすごい揺れ。坂から転げ落ちそうな軽トラックに必死で乗り込み、ブレーキをぎゅっと踏み続けた。海沿いの道を自宅へと走る途中、海が真っ白なカーテンを引いたように見えた。
 「あれが大津波だったんだ。考えてもみなかった」
 自宅に着く。バリバリと音がした。庭に出る。津波の威力で高圧線の鉄塔が次々とへし折れてくる。浜辺のタンクローリー車が浮きだして迫ってきた。高齢の父母ら家族と逃げた。
 南相馬市から親類を頼り宮城県丸森町へ避難。3月23日の予定だった次女の結婚式は飛んだ。別の地区に暮らしていた兄の妻と叔母を津波で亡くした。雫地区では25人が犠牲となった。
 1年後、自宅に戻る。大津波は寸前で免れたが、辺りは一変していた。
 「農地は雑草が背丈ほど伸び、大小のがれきと石だらけ。先も見えないまま片付けるだけの日々だった」
 大規模圃場整備の復興事業の受け皿として、高田さんらは農事組合法人「ふぁーむ・しどけ」をつくる。
 土は変わり、塩害は未知数。用水路も未整備で稲作は当初考えられなかった。
 乗り出したのは芝の生産。有数の産地、鳥取県から専門家の協力を仰いだ。
 昨年、植樹祭会場の正式な知らせが届いた。「われわれが手塩にかけた芝を会場にぜひ」。1万8000平方メートル分を長方形一片一片に切り出し出荷した。芝は会場に敷き詰められた。
 圃場では試験栽培に続いてコメを作付けする。今年で4作目。植樹祭会場に隣接する67ヘクタールまで広がった。
 福島県オリジナル米「天のつぶ」は風評被害もあって飼料用としての生産が続く。放射性物質の検査を続け、安全安心なのに。
 「自分らで食べる分のコシヒカリも植えた。悔しいからな」
 海風を受け、高田さんの田植えは続いた。
(南相馬支局・佐藤英博)

[メモ]福島県南相馬市原町区雫地区の全国植樹祭会場は東京電力福島第1原発から約21キロの地点。広さは式典、植樹会場を合わせて約9ヘクタール。天皇陛下がまかれる一つは「津島マツ」の種。津島マツは原発事故で帰還困難区域に指定された福島県浪江町津島地区など相双地区に自生するアカマツの地域品種。昭和天皇が1970年、同県猪苗代町で手植えをした木から採種した。


2018年06月09日土曜日


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