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<仙台いやすこ歩き>(81)カステラ/しっとり優しく美しい

 青い海、空にはもくもくと白い雲。「今日は絶好の松島日和だね」と、JR仙石線松島海岸駅に降り立ったいやすこは、海岸通りの広々した歩道を歩きだす。黒の外観にガラスが映える瀟洒(しょうしゃ)な建物。木の香漂う階段をトントンと2階に上がれば、今回の目的であるカステラを作り、販売している「松華堂菓子店」だ。
 手前に工房、奥に喫茶室。喫茶室の窓に広がる松島の絶景にはっとする2人を迎えてくれたのは、代表取締役の千葉伸一さん(43)と、店長の本田竜太郎さん(29)で、松華堂カステラ誕生の物語を丁寧に話してくださった。
 松華堂の歴史は1911(明治44)年に始まる。当時のチラシには「御菓子製造、食パン、砂糖粉卸、小売り 松華堂」とあり、何ともハイカラだ。「実は松華堂という屋号を知ったのは、2010年に私が5代目を継ぐ時なんですよ」。千葉さんは、食堂と土産店を経営するお父さんから事業継承するに当たって、家業のルーツを調べた。すると、このチラシが出てきて、屋号に出合ったという。
 家業を継ぐまで、千葉さんはさまざまな経験をしている。大学生の頃、店がバブル崩壊の大波を受け、卒業後すぐ借金返済のため家業に入ったそう。家族と共に家業を立て直し、その後、外の世界を経験したいと東京へ。エコロジー関連のベンチャー企業でサラリーマンを経験するが、2003年の宮城連続地震により家業が大変だからと戻ってきた。
 少しずつ落ち着く中で、お酒を飲まない千葉さんが東京で趣味としていたカフェ巡りを生かし、仙台でカフェをオープン。「そこで聞こえてきたのが、松島って残念だよね、美しさが生かされてないよねというお客さんの声だったんです」
 そうした経験を胸に、5代目として千葉さんが基本に据えたのは、あるものを生かすことであり、原点回帰だった。「松島の景色とゆったりした空気感、人々の温かさ…。ここでお客さんを喜ばせるには、素朴だけど美しくておいしいものがいいと、カステラを作ることにしたんです」。妹さんが中心となって試行錯誤し、他店のものと食べ比べながら出来上がったのがこの松華堂カステラなのだ。
 工房へ案内していただいた。若いスタッフたちが静かな活気の中、カステラ作りにいそしむ。生地を作り、杉の木枠に入れて、大きな釜の中へ。全体に火が通るようにと途中で2度、釜から取り出しては竹のヘラで丁寧に撹拌(かくはん)しながら「泡切り」をする。最後は蒸し焼きに。一つ一つが本当に丁寧。「今、子育てしているんですが、カステラ作りも同じですね」と本田店長はにっこり。
 喫茶室のテーブルでカステラをいただく。木のナイフが添えられた、その姿の美しいこと。ふわっと切れ、口に運べばしっとりと優しく…。カステラって、ノスタルジックでロマンチックで、「海のある風景にぴったり」と、すっかりのんび〜り。
 「このパッケージも好きなのよ」。松華堂カステラの入った袋を手に画伯もごきげんで、「せっかくだもの、松島散歩しよ」と、歩きだした。

◎南蛮菓子 日本独自の工夫

 カステラは16世紀中頃、ポルトガルやスペインとの南蛮貿易が盛んに行われていた時期に、宣教師や貿易商人により作り方が伝えられた南蛮菓子の一つである。
 カステラのルーツはスペインのビスコチョ(2度焼きしたの意味)とも、ポルトガルのパン・デ・ロー(絽(ろ)のように柔らかできめ細かなパンの意味)ともいわれている。いずれも卵と小麦粉、砂糖だけで作られるシンプルな焼き菓子で、ここに水あめや蜂蜜を加えるなど、日本独自の工夫が重ねられて現在の日本のカステラが出来上がった。
 カステラを焼くオーブンも、伝来当時の日本にはなく、大鍋にカステラ生地を入れ、鉄か銅の平たいふたをして、その上にも炭火を載せて上下2方向から焼き上げる「カステラ鍋」を発明した。
 江戸時代のカステラは「かすてほうろ」「カステボウル」と呼ばれていて、16世紀後半に成立した南蛮料理書に「かすてほうろの事」としてその製法が初めて記載された。



 土地には、その土地ならではの食があります。自他共に認める「いやすこ(仙台弁で食いしん坊のこと)」コンビ、仙台市在住のコピーライター(愛称「みい」)とイラストレーター(愛称「画伯」)が、仙台の食を求めて東へ、西へ。歩いて出合ったおいしい話をお届けします。
=次回は6月25日掲載=


2018年06月11日月曜日


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