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<瑞巌寺 輝き新たに>創建後初、地盤を強化

修理を終えた本堂の中心「室中孔雀(くじゃく)の間」を、拝観順路より望む。見事な彫り物や建具が目を引く
解体中の本堂の屋根。瓦や内部の建具などが外され、骨組み状態となった=2011年初めごろ(瑞巌寺提供)

 日本三景の一つ、宮城県松島町の国宝・瑞巌寺は「平成の大修理」を終え、落慶法要を24日に行う。約10年に及ぶ修理により、仙台藩祖・伊達政宗が造営した名刹(めいさつ)は桃山文化の粋と輝きを再び放ち始めた。事業を振り返り、落慶を待つ地元を見つめる。
(塩釜支局・松田佐世子)

◎(上)10年がかり

<対象は8棟>
 潮風を感じる参道から境内に入ると、杉木立が迫り厳かな雰囲気に包まれる。正面の中門や本堂は、一時解体されたとは思えない威容で参拝客を迎える。
 2008年11月に始まった瑞巌寺の「平成の大修理」は、本堂創建から400年に当たる09年に本格化した。本堂や廊下の半解体修理や中門の全解体修理など、対象は本堂はじめ8棟。100〜150年に一度必要な大掛かりな修理事業は18年3月まで続いた。
 最大の目的は、地盤沈下による本堂全体のゆがみを直すこと。03年には三陸南地震や宮城県連続地震が発生した。「計画したのは東日本大震災の前。対応しなければ宮城県沖地震クラスの想定で、最悪の場合、倒壊の恐れもあると専門家に指摘された」と同寺の千葉洋一総務課長は振り返る。
 大規模改修は明治期の1901〜03年以来。文化庁の指導の下、学識者による専門委員会の助言も受け、元請けの大手ゼネコンをはじめ約60社の業者が従事。瓦作り、飾り金具の補修など内容は多岐にわたった。

<慎重を期す>
 今回、創建後初めて本堂の地盤改良工事を行った。土台にコンクリートを敷き足元を固める手法だ。本堂を全面覆い、瓦や建具、床板などを外し、柱だけの骨組み状態で作業を進めた。
 柱下の礎石の傾きを正すためコンクリートで礎石を包み込むように施工した。
 発掘調査された本堂下の遺構をシートなどで保護し埋め戻し、その上に下地のコンクリートを流し、さらに升目状の鉄筋を載せコンクリートで固めた。作業は途中発生した震災の余震被害を避けるため慎重を期した。
 設計監理を担った文化財建造物保存技術協会の酒巻仁一氏(工事現場設計監理事務所長)は「携わるうれしさより恐ろしさが上回った。無事に完了し、こうした機会に恵まれ非常に幸せに思う」と話す。
 新たな発見もあった。(1)本堂で目に付く木材(化粧材)はヒノキで生産地は紀州と木曽(2)本堂下にある円福寺の遺構−などだ。
 吉田道彦住職は「この10年、工事に関わった人々の真剣な顔を思い出す。感謝しており、次の世代につなげられる喜びもある。心のよりどころとして人々のお役に立ちたい」と語る。

[メモ]瑞巌寺は平安時代の828年、慈覚大師が建立した天台宗延福寺が始まりとされる。鎌倉時代の1259年ごろ臨済宗円福寺となる。伊達政宗が江戸初期の1604(慶長9)年に再興を命じ、09年に完成。瑞巌寺と改めた。正式名は松島(しょうとう)青龍山瑞巌円福禅寺。政宗以降の仙台藩主の位牌(いはい)をまつる菩提(ぼだい)寺。


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2018年06月12日火曜日


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