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<宮城県沖地震40年>あの日の記憶忘れず 次への備えにつなげる

炎上し、倒壊した仙台市ガス局の施設。市内に張り巡らされたガス管も各所で切断され、供給の完全復旧には約1カ月を要した=1978年6月、仙台市宮城野区幸町
激しい揺れで倉庫に保管されていた酒類などが崩れ、復旧作業に当たる関係者=1978年6月、仙台市宮城野区日の出町
仙台防災枠組が目指す取り組みについて意見を述べ合う受講者=5月18日、仙台市青葉区の会議室

 1978年6月12日に発生し、28人が犠牲になった宮城県沖地震から40年となった。戦後初の都市型災害とされ、直撃を受けた仙台市では宅地崩壊やブロック塀の倒壊など大きな被害が出た。「あの日」を振り返りながら、東日本大震災を経てますます重要視される「備え」のいまを考える。(報道部震災取材班)

◎被害総額、県予算に匹敵/被害の概要

 宮城県沖地震は1978年6月12日午後5時14分ごろ、金華山沖60キロの深さ40キロを震源に発生した。マグニチュード(M)7.4と推定され、当時の震度基準で仙台、石巻、大船渡、新庄、福島で5を記録。津波警報も発令されたが、最高は仙台新港の30センチだった。
 死者は28人(宮城県27人、福島県1人)。このうち18人はブロック塀や石塀の倒壊などで死亡した。負傷者は1万1028人で、うち仙台市内が9300人を占めた。7573棟の建物が全半壊した。
 約68万戸(宮城県内42万戸)が停電。宮城の8万7740戸で断水し、3分の2を占める仙台市の全面通水は10日後だった。市の都市ガスは完全復旧まで約1カ月を要した。宮城の被害総額は当時の県の一般会計予算に匹敵する規模の2687億6414万円に上った。

◎意識高める催し多く/市民講座や防災模試

 宮城県沖地震と東日本大震災による2度の経験を、いかに次への備えにつなげるか。市民講座や防災模試を通し、意識を高める取り組みが広がっている。
 仙台市で2015年にあった国連防災世界会議で採択された国際的な防災行動指針「仙台防災枠組」。実践のあり方などを学ぶ講座が5月18日、青葉区であり、受講した町内会役員や企業担当者ら約80人が地域防災との関わりを考えた。
 東北大災害科学国際研究所と仙台市が16年度から開催。災害研の今村文彦所長と泉貴子准教授が講師を務めた。参加した太白区西中田町内会の元役員渡部公康さん(56)は「福祉避難所の整備や学校との連携といった町内会活動が仙台防災枠組と結び付いていると知った」と意を強くした。
 ヤフーは今年3月、スマートフォンのアプリで、防災に関する知識を問う「全国統一防災模試」を初めて実施。宮城は参加率、平均点とも1位だった。
 問題を監修した東北大災害研の佐藤翔輔准教授は「地震などの大きな被害から学んだ成果が示された形になった。防災の催しが多いことも、意識を高める要因になったのではないか」と分析する。


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2018年06月12日火曜日


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