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<私の復興> 故郷で取り戻す日常

帰還した友人宅を訪れる佐藤さん=福島県浪江町

◎震災7年3ヵ月〜福島県浪江町・種苗店経営佐藤秀三さん(73)

 胸ポケットには常に線量計を入れている。病院やスーパーはなく、不安や不便さを挙げたらきりがない。ただ、故郷で取り戻した日常は何物にも代え難い。

 福島県浪江町は昨年3月、東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示が帰還困難区域を除いて解除された。町内で種苗店を営む佐藤秀三さん(73)は二本松市の仮設住宅での6年間の避難生活を終え、妻芳子さん(71)と自宅に戻った。
 健康管理のため、町から貸与された線量計に貼られた「1」の通し番号は帰還した住民第1号を表す。「線量が何ミリでも、戻りたいという思いは誰よりも強かった」と振り返る。
 原発事故は町を汚染し、面積の8割が帰還困難区域に指定されたが、愛着は捨てられなかった。大正時代から続く種苗店は亡き母が行商して歩き、商圏を拡大した老舗だ。「のれんを守りたい」。高線量地域を通って一時帰宅を繰り返し、維持管理に努めた。
 今春で解除から1年を迎えたが、帰還した住民は約700人と人口の4%にとどまる。野生鳥獣に荒らされた家屋と、更地が混在する街並みは殺風景だ。除染廃棄物を中間貯蔵施設へ運ぶトラックの騒音ばかりが重く響く。
 避難指示の解除を巡っては、賛成派と反対派に町が割れた。町が2017年1月から全国10会場で開いた住民懇談会。「解除したら賠償が打ち切られる」「国や東電の思うつぼだ」と否定的な意見が大勢を占め、佐藤さんら帰還を望む住民との溝が深まった。

 故郷で心を痛める再会があった。
 一時帰宅で訪ねてきた知人男性に「店もないし、医者もいない。こんなとこ誰も住まねえぞ」と言い放たれた。「帰還するもしないも選択の自由。互いを否定すべきじゃない」と反論をのみ込んだ。
 故郷で取り戻した喜びもあった。
 今年の正月、千葉県などに分散避難した娘と孫の2家族が集まり、7年ぶりに10人全員が顔をそろえた。みんなで年越しの除夜の鐘を突き、恒例だった浪江神社に参拝。町内の請戸漁港から拝む初日の出は格別だった。
 居間のこたつを囲むと会話も弾んだ。孫娘が「将来はお婿さんをもらって店を継ごうかな」と笑った。店は販路が途絶え、厳しい現実に直面する。「冗談だろ」と返したが、内心はうれしくてたまらなかった。
 「復興の定義は人それぞれだけど、佐藤家の復興は達成できたんじゃないか」。久方ぶりのだんらんが、味気なかった6回分の正月の記憶を上書きした。
 今年4月にはなみえ創成小・中校が開校、地元での義務教育が再開された。認定こども園も開設された。合わせて23人だが、子どもが駆け回る光景が戻った。
 「浪江はまだ捨てたもんじゃない」と日々、意を強くする。「町を地図から消滅させたくない。帰還した自分たち、そして故郷を離れる選択をした人たちのためにも」と願う。
(報道部・桐生薫子)

●私の復興度・・・88パーセント

 原発事故で被災した自治体の復興は、避難指示が解除され、住民が住んだり、立ち寄ったりできることだと思う。ようやく自宅に戻れたので、復興度は限りなく100%に近い。ただ生活再建が進まず、0%で止まっている町民は無視できない。末広がりへの希望を込め、88%としたい。


2018年06月12日火曜日


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