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<瑞巌寺 輝き新たに>「筋違」生かし壁補強

上空から望む瑞巌寺。最も広い屋根を持つのが本堂。右脇に廊下、今回の修理対象外の庫裏と続く
津波の塩害で杉木立がまばらになった参道。広葉樹などが植栽された

 日本三景の一つ、宮城県松島町の国宝・瑞巌寺は「平成の大修理」を終え、落慶法要を24日に行う。約10年に及ぶ修理により、仙台藩祖・伊達政宗が造営した名刹(めいさつ)は桃山文化の粋と輝きを再び放ち始めた。事業を振り返り、落慶を待つ地元を見つめる。
(塩釜支局・松田佐世子)

◎(中)震災越えて

<工法見直し>
 宮城県松島町の国宝・瑞巌寺で「平成の大修理」が始まって2年余り過ぎた2011年3月11日、東日本大震災が発生した。
 当時、本堂は工事用の素屋根で覆われ瓦や建具などが外され、柱や梁(はり)の骨組みだけ。本堂は閉鎖中で、寒さから寺の拝観者は数人だった。もし瓦が落ちて人に当たれば惨事となる。寺の千葉洋一総務課長は「被害が最小限だったのは、不幸中の幸い」と言う。
 松島湾からの津波は参道の4分の3まで達した。寺は避難所に指定されており、その夜は観光客や住民ら約300人が敷地内の陽徳院修行道場で過ごした。職員はろうそくをともし、食事を確保し、町が避難所を統合する16日まで人々を受け入れた。
 未曽有の震災は修理事業を中断させ、さらなる負担を強いた。震災前の耐震診断で何らかの対策が要るとされたが、震災を機に耐震工法見直し案が浮上。「たどりついたのが、瑞巌寺のために考案された特許技術だった」と稲富慶雲管理課長は説明する。
 本堂の白い壁の内部に、厚さ12ミリのポリカーボネート製の穴あき補強パネルをはめ込む。実に計約200枚。地震でゆがんでも形状が戻るパネルで、山形市の設計会社が開発した。

<膨らむ費用>
 壁内部には部材を斜めに交差させ建物強度を増す、創建当時の「筋違(すじかい)」の存在が今回の解体で発見された。筋違の普及は江戸後期以降で、江戸初期の採用は画期的。筋違を残しつつ補強パネルを加え、壁は3〜4センチ厚く修復された。
 こうした見直しに、誤算も加わった。3割と見積もった瓦の修理(新造)が後に7割必要と判明。国、県、町も補助したが、震災後の資材・労務費高騰が響き、事業費は当初の1.18倍の約17億円に膨らんだ。
 津波の塩害により参道の杉並木は枯れ、全1000本の半数近くを伐採した。土壌を入れ替え、今年5月末まで杉の苗木や季節感ある木々の植栽が続いた。
 未来への願いを込めた修理や復旧。瑞巌寺の見どころを稲富課長はこう話す。「戦乱による焼失や改変もなく、現存する桃山時代の建造物として価値が高い。技法が凝らされている。目に見える極楽浄土だ」

[メモ]本堂の江戸期の修理については明らかではない。近代になると明治期の1901〜03年に大規模に行われ、柱の根継ぎや柱と礎石の間の銅板はその頃の修理とみられる。屋根ふき替えは戦前に2回、戦後は52〜77年に4回。67年に部分修理を実施した。本堂と廊下は78年に宮城県沖地震、2003年度に三陸南地震と宮城県連続地震の被害復旧がなされた。


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2018年06月13日水曜日


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